1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. めりはり

めりはり

凍りつくような寒さの中、燃えるゴミ袋を6つ出し、灯油を買いに行き、買い物もしたりしたものだから、昨日はさすがにバテた。ちょっと外に出ただけで、指がかじかんで冷え切るので、そのたびにシンクに放っておいた食器類をお湯で洗って指を解凍するので、おかげで台所はいつもきれいだ(笑)。

昨日はセーター数枚とネグリジェや何かも洗濯したのだが、濡れたやつを風の中、外に干してたらこっちが凍え死にしそうだったので、風呂場につるして乾燥スイッチで乾かした。ちゃんと乾いたので助かる。

今日は少し寒さもゆるんで、陽も照っている。朝は6時半にラジオ体操をするので、それまでに起きて神棚の水替えとかいろんな仕事をする。昼食のあとは、もう何十年も続いているNHKの「昼のいこい」をつい聞く。4時からはつい大相撲を聞く。みたいな感じで、どーでもいいような予定に合わせて、けっこうあたふたばたばた仕事をしている。まあ、こういうのでも、生活のめりはりにはなっているから、いいか。

「昼のいこい」は、まだ私が小学生かそれ以前だった小さいときに、家の置き床にあったラジオから同じメロディーが流れて、アナウンサーが同じような声でしゃべっていた。ある日、ラジオのボリュームがやけに大きくて、祖父が立って行って音を小さくしながら、「こんなにやかましくては、いこいにもならん」とか言ったのを、幼い私はとても気に入って面白くて、きゃっきゃっ笑って、喜んだのを覚えている。そういう突っこみが好きになりはじめたころで、祖父がそういう警句?を口にしたのが、楽しくてたまらなかった。「これじゃ、いこいにもならん、だって」と、くり返して悦に入っていた。

たったそれだけの、小さい思い出が、ずっと心に残っていて、そのときと同じメロディーを聞くたびに、祖父や幼い自分や食卓を囲んでいた母や祖母や、薄暗くあたたかい田舎の家の茶の間を思い出して、ほんわかしてしまう。
そういう時間は、失われたものとしてではなく、降り積もった愉快なものとして私の回りに漂っている。今も外出から帰って一人の家の玄関の鍵を開けるとき、何だか私は家の中に五十人ぐらいも人がいるような、にぎやかな感覚にとらわれる。

年賀状もさすがに来なくなった。あと何人かに出したくて郵便局に行ったら、もう販売はしていないそうな。去年もそうだったっけ。帰ってプリンターをのぞいたら、10枚たらずまだ賀状が残っていたので、これを使って、何人かに出して、おしまいにすることにする。

窓辺の正月飾りも片づけて、節分モードに鬼の小さいぬいぐるみとタペストリー、お多福の置物を置いた。いわしとヒイラギの飾りも注文してるのだが、まだ来ない。

火事で亡くなる高齢者のニュースが少なくなったと思ったら、今度は雪に埋まって亡くなる高齢者のニュースが増えて、何だかなあ。70代や80代や90代の男女が軒から落ちてきた雪に埋もれていただの除雪機にはさまって亡くなっただのと聞くと、自分も油断ができないと思ってしまう。

そもそも、あっという間にこのコロナの感染の増加はすごすぎる。まるで夢のようだ。皆も対応できていないのか、スーパーとかに買い物に行くと、レジなどで妙にぴったりくっついて来る人がいて、ぎょぎょっとする。差別しちゃいけないが、圧倒的に中高年の男性が多い。買い物に慣れてないのかな。
そう言えば、中高年のおじさんで思い出したが、少し前から宅急便のおじさんの一人に閉口している。他の若い人たちはそんなこともないのだが、このおじさんは、チャイムを鳴らして、ろくに待たないで、すぐに引き返してしまうのだ。あわてて出ようとして、転びでもしたら命取りだから急がないようにしているが、それでも決して遅くはないし、大きな声で返事もしている。それでも、すぐに引き返す。何を考えているのかわからない。留守で手渡せないで困るという宅急便の配達の人の嘆きはよく聞くが、このおじさんは、手渡したくないのか、速攻で出て来ないと渡さないことで自分の力を誇示しようとしているのか、どっちにしてもおかしな人だ。

明日から大学入試だ。私は入試など、厳しく完璧にしなくてもよいという感覚なので、コロナ対策で、いろいろ対応がゆるくなるのは、むしろ望ましいという感じである。いくらでも融通をきかせてほしい。
くり返すが、自公政権にも岸田首相にも期待はしていないが、コロナ対策でもその他でも、一応対策や対応に集中している気配があるのは、まあそれが当然だから評価するのもしょうがないが、つい見逃しておきたくなる。とにかくアベやスガの場合は、常に、コロナでも何でも、真剣に向かい合っている様子がまるでなかった。いつも、他の何かに気を取られ、別のことを基準に政治をしている感覚が、ひしひしと伝わってきていた。「よそみ内閣」、「うわのそら内閣」としか言いようのない姿勢と視線だった。

あれはいったい何だったのか。橋下やその後の知事の展開している大阪の様子とは、またちょっとちがう特徴のような気がする。

Twitter Facebook
カツジ猫