何だかもう、めんどうくさい
隣りの家がほぼ完全に解体されて、ものすごく遠くまで見えるようになった。
どうせまた、新しい家が立って視界がふさがれるんだろうが、こうして見ると、案外狭い場所だったのに驚いている。母が昔、「家は、ちょっとした空き地にでも、立派にちゃんと建つもんだから」と言っていたのを思い出す。
でもね、ちょっと困っているのが、実は少し前に工事中の業者の人から、「ほこりが立つから、水を貸してくれないか」と頼まれて、最初は大したこととも思わず「いいですよ、どうぞ」と言ったのだが、「ホースは持って行きますから」「声をかけますから」とか言われてる内に、ちょっと心配になった。
毎日の水まきに、二ケ所あるホースの蛇口はかなり工夫して便利なようにつないでいるし、他人がそれを動かしたら、いろいろと困る。庭に入って来られたら、ガラス戸越しに家の中も見えるし、庭の花などに気をつけてもらうのも難しそうだ。
それで結局、「やっぱり難しそう。ごめんなさい」と声をかけて断った。それはそれですんだ。
ご近所の人に、そのことを話したら、「工事現場に水道はないのかな。もう止めてしまってるんだろうか。普通、自分のとこのを使うでしょう」と不思議がっていた。友人の一人は「あんたの庭に入ってみたかっただけなんじゃないの」と言ったけど、まさかね。たしかに、これまで、いろんな理由をつけて、庭に出入りしたそうにした人たちはいたけれど。
まあ、それはすんだことなんだけど、微妙に困ってしまうのは、私は庭の花や木に水をやるのに、毎朝ホースで水まきしているのだけど、隣りの工事現場では多分、水がないのに、惜しげもなく贅沢に水を庭にかけまくっているのって、何だか、そりゃあ、ちょっとぐらい使わせてくれたっていいじゃないかと思われそうで。
だからつい、工事が始まる前の早朝に、水まきをすませてしまいたくなる。そうすると、予定がいろいろ狂ってさ、変にイライラカリカリするのよ。
これって、まさに私が「情けあるおのこ」でこだわって書いた問題にもつながるのよね。「余ってるんなら、わけてくれるのが当然」みたいに思われるけど、こちらとしては都合もあるし、そちらが困っているものを持ってるからって、どこまで申し訳なく思えばいいのか、その基準がわからない。
毎朝こだわっている内に、だんだん自分がバカみたいに思えてきた。工事の人たちとは、寒いですねとかおはようございますとか、顔があうたび挨拶していたのに、今はなるべく会わないように避けてしまっている。親しくなったら、何を頼まれるかわからないと思ってしまう。
いろいろと、ああ、いやだいやだ。
とか何とかで、いじけていたら、今朝の大学入試で高校生が受験生二人と70代の男性に切りつけたという、とんでもないニュースが。書きたいことも感じることもいろいろあるが、何しろ状況がよくわからない。70代の男性は試験監督官の教員かと最初とっさに思ったけど、多分ちがうんだろうな。
自分も試験監督は毎年やっていたから、もしそういう事件が目の前で発生したら、どう対応するかと考えてしまった。あれが役にたつのかという、電話帳みたいな分厚い試験監督用のマニュアルがあったけど、当然そんな状況はまったく予測もされてなかったし、あの試験場で誰かが刃物を持ち出したら、正直お手上げだったかもしれない。たいがいのことは予測する私も、さすがにその対策は考えていなかった。とにかく、もう少し様子がわからないことには、何とも言いようがない。