もう飾ってもいいらしい
て言うか、もう明日しか日が残ってないのね、お正月の飾りつけ。
お鏡餅もしめ縄も、いろいろ買い揃えてはいるんだけど、ついつい、のんびりしてしまってました。
それでも昨日は一気にクリスマスの飾りを片づけて、あっちこっちをお正月仕様に変えました。道路に向いた窓には、去年から買って待機させていた、ぬいぐるみの優しい顔の赤い龍と、毎年おなじみの「お鏡猫」を並べています。
上の家には、あっちこっちに、超小さい瀬戸物のお鏡餅のあれこれを。
お風呂の手ぬぐい壁画は、さしあたり、雪の中の鶴の群れにしてみました。何だか温泉宿の露天風呂からながめてる風景みたいで、ちょっといいと思いません? 私が遊んでるだけかしら(笑)。
今年の掘り出し物はこれかな。しめ縄は毎年安物のを二つの家のドアにくっつけるんですが、門松はさすがに置かなくて、でも、だんだんそれがものたりなくなり、松飾りっぽいオブジェを置きたいなとか、いっそ松の木を庭に植えて毎年枝を調達しちゃろかとか、無謀なことをときどき考えたりもしていたのです。
昨日、スーパーの二階のダイソーで、見るからにちゃちな(そこがかわいい)正月用の小物が並べてある中に、まるで子どもの積み木のような、おまえ世の中なめとんのかと言いたくなるような、門松のオブジェが二つありました。しかも値段もついてない。
何となくおかしくなって笑いながら、いくらなんだろと危ぶみつつレジに持ってったら、何とどっちも本来のダイソーの値段つまりただの百円。
この冗談っぽさがとても好きで、とりあえず二軒の家の玄関先においてみました。おままごとみたいで、そこがかえっておしゃれです。
玄関先は散らかってるし、とりあえず石で押さえていますけど、明日はもう少しきちんとおいてみます。
きっと、この二つ、これから毎年、大切な常連になるだろうって予感がするの。どう言ったらいいのかな、安物っぽいのに、大真面目に心をこめてきちんと作ってある気配が、とても好き。
でも、こんなことしながら、腐り果てたゾンビみたいな(ゾンビに悪いが)政権が、何もかもふみにじって、金の亡者たちの言うなりになって、世の中をこわしまくっている事実を思うと、そっちを何とかする方法も、絶対に考えつかないといけないと、あらためて思ってしまうのだよなあ。こんな楽しい雑事の数々に、「現実からの逃避」なんて名前を絶対につけさせたりしてはならない。そんな生き方をしてなるものか。
新しい年よ、来い。どんなに苦しくても、どんなに楽しくても、何ひとつ見逃したり、目をつぶったりなんかしないから。