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やった。

◇ひっさしぶりに東京に行き、江戸の文人に関するワークショップに参加してきた。文学に限らず、いろんな分野の人たちが集まって、すごく勉強になった。帰りの新幹線までに時間があったので、これも久しぶりに、神田の古本屋をのぞいたら、大屋書房が昔のままのたたずまいでちゃんとあって、思わず道中記をひっくりかえしている内に、寛政頃の出版の、わりときれいで面白そうな木曽道中記を、今の私の生活ぶりでは自殺行為の、法外な値段なのに衝動買いしてしまった。ショックで、雲を踏むようにふらふらしながら駅に戻った(笑)。何を買うあてもなかったのに、財布にかなりお金を入れてたのがまちがいだった。それでも、ほとんどそれを使い切って、千円札が何枚かしか残らない状態で、何とか帰って来た。台風とはどこか途中ですれちがったらしく、帰ったら雨も風もなく、スーツケースを引っ張って、駅から歩いて帰ってきた。

さて、息つく間もなく、11月の別のラウンドテーブルの発表の準備をしなければ。授業も始まるし、近世文学同人誌「雅俗」の原稿も書きたいし、まったくもう、気ばかりあせる。ワークショップで知り合った研究者の方々との情報交換もいろいろしたいしなあ。悩ましい。

◇帰りの新幹線の中の電光ニュースでちらっと見たが、民進党と共産党は衆院選の補選で候補を統一することにしたらしい。やった。共産党のものすごい妥協のしかたに、ものすごいやる気と闘志を見る、この不思議な感覚。それだけ日本の民主主義に危機がせまっているという緊迫感と、だからこそ持たざるを得ない信頼感。

◇神田の三省堂書店で、新幹線の中で読むのにと思って、大城立裕の本を買おうと、店員に頼んだ。私の言った書名で出なかったので、作家の名を言ったら、「あ、沖縄の作家のかたですね」と店員は知ってて検索してくれたが、そこで私はまちがえて「カクテルパーティー」を「ティーパーティー」と言ってたことが判明。「もーう、私ったら」と笑いがとまらなかったら店員も「いえ、私も書名を覚えてなくて」と謝りながら棚に案内してくれた。ついでに同じ作家の「対馬丸」も買って、二冊とも、新幹線の中で読み上げてしまった。「亀甲墓」と同じに、骨太で力強く、悲惨なのに明るい。「カクテルパーティー」のラストの場面で、真っ青な海を背景に片手を岩につき、もう一方の片手をあげる少女の切なく痛ましいのに、限りなく力強い姿が、もうまるで絵のように目に刻みつけられる。

「カクテルパーティー」は文庫本で、他の短編も入ってる。「棒兵隊」も、沖縄戦の地獄図絵をどこか乾いて大らかな昔話のように語っている。沖縄は本当に戦場だったんだと知識ではなく肌で感じる。
「対馬丸」は学童疎開の船が撃沈された事実を題材に描いているが、そういう沖縄が戦場になった悲惨さを知っていると、その前に子どもたちを疎開させようかどうしようかと迷う家族や学校関係者の姿が胸にせまる。「アンネの日記」関係の書籍を読むとき、ナチスから逃れてヨーロッパを去るべきかどうかに迷った多くのユダヤ人のことなども連想する。

私は石牟礼道子さんの水俣病関係の文学を尊敬も評価もするのだが、彼女の作品世界を通してしか、あの事件全体を見ることができないのが、いつも少しもどかしい。たとえばこの「対馬丸」のような、明るく力強い書き方で、あの事件全体を描いたものを読んでみたいと強く思った。
それと、佐藤優氏のあとがきで、彼の、それぞれ対照的なかたちで戦争を激しく嫌悪していた両親の話などを知り、いまひとつ、何者なのか、これまでよくわからなかった氏の根源にあるものが少し見えた気がした。

それから沖縄が日本から独立するという話、私は悪意でも善意でも破天荒な冗談としてしか聞いて来なかったのだが、そうでもなくて、そういう話の出る伝統や歴史や実感があるのだなあと、それも初めてよくわかった。

おっと、もうこんな時間。そろそろ寝ないと。

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カツジ猫