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よれよれ

洋服はかなり整理が進んだし、家もまあまあ片づいてきたけれど、予定も負けずに押し迫って来ていて、厳しいっ!

あらためてまとめて見ると、こんなに服や下着が多いとは。ソックスやスカーフも冗談でない量だった。何とかしないとと思うけど、気がつくと、もうとっくに捨ててもいいような、よれよれのセーターや上着を浮き浮きと手近に持って来ている私。こういう着古したボロを着るのが何だか好きなんだよなあと、今さらながら気がついた。安物で、くたくたになった服を着ているのは、楽しいし落ち着く。

「しんぶん赤旗」によると、政府は辺野古の警備費に何百億円もつぎこんでるそうで、いったい何をしてるんだと、呆然とする。
それだけ使って説明会…はしても無駄かもしれないが、せめてジュゴンやサンゴを救うとか調査するとかしたら…というのもちがうか。何しろ、こういう出費をしなくてはならないのはいやだなあとか、何かまちがってないかなあとかいう感覚が、政府の方々には生まれないものなのかしらん。経済観念がどこかで麻痺しているとしか言いようがない。人の金って使うのが本当に苦にならないらしいね、この人たちは。

「しんぶん赤旗」は、連載小説の「希望を紡ぐ教室」も、あまりに型どおりすぎてつまらないと最初思っていたのだが、維新が勢力をふるう大阪で、それに疑問を持ち抵抗する人たちの様子が細かく伝わって来て、なるほどこういう決まりきった図式で描かれるからこそ伝わる現実もあるのだよなあと、変なところで感心している。少なくとも、大阪のいろんな選挙や投票の結果がわかるたびに、大阪はおしまいだとか何やってるんだと無責任にさじを投げたり怒ったりする気には、もうとてもなれない。

かつて湾岸戦争のとき、テレビはこぞって花火のような空爆の映像だけを放送しつづけ、ゲームのような軍事的な解説ばかりをくり返していた。あの爆撃と炎の下に、生きて苦しんでいる人や動物がいることなど、想像もさせない画面だった。
それと同じように、想像できなかった、当時の大阪のさまざまな状況の中で、苦しんで抵抗していた人たちの存在が伝わるだけでも、あの小説の価値は大きい。私はもう、そのことを忘れないだろう。

ついでに書くと、侍ジャパンの活躍に皆が熱狂していたころ、「しんぶん赤旗」は試合の日程が米国などにはとても不利な組まれ方をしていて、実力が発揮できないだろう予定になっていることを、かなりしっかりとコラムで記事にしていて、驚きながら、その後はちょっとちがった視点で試合を見ていた。

あの時期の野球報道で、こんな事実に触れた記事を、私は他に見なかった気がする。まあ別にスポーツ紙やニュースをこまめにどころか大ざっぱにでもチェックしていたわけではないから、責任は持てないが、よそでは見なかったし、あの時期の雰囲気からして多分絶対そんな報道はなかっただろう。

何より、「これは日本にとってどうでしょう」だけの固定した視点からだけでなく、完璧に他国の立場からふいっと状況を見直せるような、軽やかさと風通しのよさが、快い新鮮さを生んだ。
そういう点でも、これは貴重な新聞である。機会があったら、ぜひ購読してほしい。

プロ野球で思い出したが、ときどきのぞくファンサイトでソフトバンクホークスの選手たちが、それぞれの一年を漢字一文字で表現していた。
若い選手たちが、それぞれいかにもな漢字をあげていたのもかわいらしかったが、甲斐選手が「一」、千賀投手が「無」をあげていたのは、意表をつかれたのもあって、妙に感心してしまった。
理由はそれぞれ普通にもっともなのだが、こんな漢字を思いつけるのも、二人が全盛期でセンスもとぎすまされているからなのかとあらためて思う。

それでつい、自分の場合はどうだろうと考えた。恩師の死や猫の失踪、猫小屋の減築など、「失」や「消」もありだなと思ったが、それ以上に今年は、新ホームページ「いたさかランド」の開設、「断捨離狂騒曲」の自費出版、新車の購入、スマホへの変換など、とことん「攻」の一年だったなと、あらためて思う。この後まだ年末まで、いくつかそういう新規の冒険がひかえているから、最後まで気は抜けないが。

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カツジ猫