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ウクライナに救われている

ロシアがウクライナでクラスター爆弾使ったと聞いて、びびってます。ベトナム戦争の時にアメリカが使った兵器の一つだけど、絶対使っちゃいけないやつだろ、それたしか。

ウクライナのゼレンスキー大統領って最初見たとき、スタッフの一人かと思ったぐらい若くて俳優みたいでびっくりしたんだけど、本当に芸能人だったのね。だからかどうか知らないけど、各国の国会で演説するとか、想像もつかないような方法をくり出してくるなあ。
何しろウクライナの件ではロシアに弁護の余地はないから、世界中がこぞってウクライナを応援してる流れは、まちがってはないけど、たしかに立憲民主党の泉代表が危惧してるような、「ちゃんとよくよく打ち合わせしてからでないと、演説させるべきじゃない」ってところはあるかも。というか、本当はそんなの言うまでもない常識で、自然にやってるはずなんだろうけど、今の日本政府に、その点をきちんとチェックする力があると思えないのが恐いのよ。

まあ今回の件ではプーチンが第二次世界大戦後の、かろうじて最低守られてきたルールを完璧に破ったのだから、これだけ世界も非常識なぐらいに団結して対立してぶったたくのも当然ではある。しかし、前にも書いたが、ルール無視としてはここまでじゃないが、似たようなひどいことは、あちこちで起こってて、それが知らされないだけだったことを思うと、これだけ全世界が、こういう実態を見せられているのは、あえて言うなら、いい面もあるのかもしれない。

今日の夕方、戦争体験の紙芝居を作っている女性のニュースが流れたのを見た。こういう作業が地味な時代遅れっぽい感じじゃなく、最先端でリアルで生々しく感じられるのは、皆がニュースで市民目線で戦争の実態を日夜見せつけられてるからだろう。
それは最初の段階では、浮足立ってパニクってトチ狂ったバカどもの、「日本も自衛を」だの「核保有を」などという、それこそ現実無視のアホ発想と世迷い言発言の数々を生んだが、一方確実に、過去や遠くのこととしか見られなかった「戦争」を、間近に身近に感じる機会を多くの人に与えた。どうしたらいいのか、何を知って考えたらいいのか、たくさんの人が今、日常生活次元で考え始めている。政治や社会や世界や歴史を、遠いひとごとと思えなくなっている。それは、もしかしないでも、いいことにつながるのではないだろうか。

だとしたら、ウクライナを救うのは私たちではない。ウクライナが私たちを救っているのだ。そういう実感が日増しに強くなって行く。閉ざされていたものが、開かれて行く。区切られていたものが、つながって行く。バックミュージックがホラーめくのか、ファンタジーっぽいか、明るいか力強いか、それはまだよくわからないけど。

今日は一日雨でした。でも寒さはそんなにひどくはなかったなあ。コートも着ないでストールだけで、久しぶりに以前よく行った喫茶店にお茶しに行って焼きバナナのパイを食べて来ました。おいしかったし、雨のそぼふる外を見ながら、どこか禁欲的なまでに素朴にすっきりと趣味のいい店内で紅茶をいただきつつ、赤と白の電車が少し遠くを走って行くのをながめているのはなかなかいい気分でした。

お日さまなんか全然照らなかったのに、上の家の玄関先のライトストーンがちゃんと点灯してるのが泣かせます。自分でも冗談っぽい気がして、ビビりながら去年買ったんだけど、これ、けっこういい買い物だったのかもしれない。明るい昼間は、そしらぬ顔でガラスの塊か石ころのようにしているのが素敵です。

前にもお見せしたけれど、点灯したら、こうね。

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カツジ猫