負けねえよ
震災十一年目だそうだ。予測はしていたけれど、ラジオはそのことの特別番組のようなのばっかりで、申し訳ないけど、とうとう消した。忘れないとか思い出せとかいうことと、お涙頂戴の話をくり返す(くり返させる)のは、どこかちがうと思うんだよね。実際の体験者の話はそれなりに前向きで明るくて冷静なのに、アナウンサーやコメンテーターが、型通りのしめっぽい枠にあてはめようと必死なのにも、イライラする。
被災者の方たちの中には「風化」を感じている方が多いという。十年もたてば、それもやむを得ないことかもしれないが、少なくとも、それをくいとめることが、こんな型にはめた「泣ける」話を毎年くり返すことではないだろう。それで何とかなるなんて、とても思えない。
そら「風化」って言うなら風化しまくりだろうさ。原発は次々再稼働されるし、地球温暖化を防ぐための次世代のエネルギーには原子力も必要だなんて世迷い言が堂々と口にされるし、あろうことか世界の大国が他国の原発を確信犯で攻撃するわ、核攻撃をちらつかせるわ、それにバカノリして日本の核武装を話し合おうというアホが政府にも一般社会にもわいて出るわ、これを風化といわずして何と言おう。
あの福島原発事故の恐怖と悲惨と、今も続く汚染水や廃棄物や帰宅禁止地域の現状を見もしなかったように、聞きもしなかったようにのほほんと脳天気な発想と発言をくり返してる世界を見たら、あの時に事態を目にし体験した人なら、「風化」ということばなどでは表現できない健忘症としか思えないだろう。それはむしろ「消去」「リセット」「無視」「破壊」「抹殺」だ。
原爆を浴び「夏の花」を書いた作家原民喜は朝鮮戦争が始まったときに、ひっそり鉄道自殺した。映画「ホテル・ルワンダ」で内戦による殺戮の中に置かれた人々は、世界が自分たちのことに関心がなく報道もされないのに絶望した。私でさえ知らなかったアサド政権の独裁下の暴挙の中で今のウクライナ以上に爆撃され蹂躙されてダラヤの町は滅びた。
慰めにもならないし、してはいけないのかもしれないけれど、それでも連日の報道の中で私の心をかすめるのは、これだけ世界に注目されて破壊や苦悩が伝わっているウクライナの幸福だ。これ以上の暴挙や悲惨は、規模にしろ程度にしろ、これまでにもいくらも世界で起こっていた。私たちが知らなかった、知らされなかった、知ろうとしなかっただけのことで。
湾岸戦争のときだって、戦火の下の人々の生活なんかテレビは報道もせず気にもせず、花火大会のような爆撃の映像をたれ流して、ゲームのような戦況解説に終始していた。爆撃下の人々の生身の肌と心を、わずかにでも自分のものとしてひきつけて考えていた文章を、あのころ私は探しに探して、小林エリカの『空爆の日に会いましょう』しか見つけられなかった。今、Amazonの感想で、「恵まれて育ったお嬢さんの書いた本」みたいな批評を見ると、私の心ははっきり言って煮えくり返る。あの頃のことを何一つ知らなかったら、そんな感想を抱くのもしかたないかもしれないけれど。自らの無知と読解力や想像力のなさとをさらけだして恥ずかしくないのかというのは酷なのかもしれないけれど。
そもそもベトナム戦争だって、同じように理不尽にアメリカはベトナムを侵略し(日本もそれに片棒かつぎ)、ナパーム弾だのボール爆弾だの化学兵器だの人道的に許されない武器を雨のようにベトナムに降り注ぎながら、そのことをずっと長いこと世界も日本も注目しなかったし、誰もほとんど気にしなかった。
いろんな状況があるにせよ、ド素人の感覚で言うと、今の状況はそんな歴史に比べると雲泥の差で、ずっといい。
悲惨な映像を見るのがつらくてニュースを見ないというコメントもネットでたまに見る。けれども、体験しないでいる者にとってせめてできることは、見ること、知ること、考えること、そして前進することだ。あきらめないことだ。「食事の前には読めない本」で、私が主張したように(けっこうグロテスクな表現もあるので、閲覧注意ね。読んでほしいけど。特に28ページあたり)。
まだ書きたいことはあるけど、とりあえず、ここまでに。
とにかくね、福島にしてもウクライナにしても、私に絶望する権利なんてない。負けねえよ。