カワハギ行脚
少し前だが、橋下徹氏が、ワイドショーか何かで、高市首相を批判したようだ。最近ネットのニュースでは、高市さんの悪口とほめことばとが、押したり引いたりの入り混じりのせめぎあいなので(私が茶坊主パソコンと揶揄してる私の機械かAIかが、私がどっちが好きなのか判断しかねてて、両方さしだしているのかもしれないが)、批判も悪口も言おうと思えばいくらでも題材はあるから、何について言ったことだか、私もよく覚えていない。ここで再三書くように、高市さんのすること言うことは維新や参政党ばりに、くらくらふらふら変わるというか、何をめざすかどこまで本気か、とんとわからないから、雑魚がぴちぴちはねてるようで、いちいち覚えている気にもならない。
それより橋下さんの動きだ。忘れもしないが、自民党がどさくさまぎれの大勝をした直後、ワイドショーで「この結果から何を学ぶか」みたいな不毛で的はずれな話をしてた時、橋下さんはすかさず、「これからは、テレビのワイドショーとかも政府の足を引っ張ったり批判をするような姿勢じゃなく、支えてともにがんばるような報道姿勢に変わらなくちゃならない。そういう時代が始まっている」とか言うようなことを言って、さすがというか、やっぱりというか、予想があたりすぎて吹いた。
あの選挙は途方もないでたらめ選挙だっただけに、ぎりぎりまで結果は誰にも予想できなかった。その中で橋下さんは、高市陣営が勝っても負けてもいいように、どっちにも転べる姿勢をとりつづけていた。具体的には高市さんをあれこれと批判しつつ、「嫌いではないが」みたいな言い方でそこはかとなく認める余地も残していた。これは基本的には高市さんの手法と同じで、ただもっと賑やかしい。そして維新がおおむねその通りだし、参政党はさらに雑だが、やはり似ている。いつも、世の中はどっちに動くか流れはどちらに向くかを見守り見定め、それを利用して自分を売り出す。
あのころの橋下氏の発言を見ていて、私は、これは高市氏が勝つかどうかは、かなり微妙だろうなどっちにでも転びかねないなと考えていた。今でも私は、もう少し時間があれば、あの結果はまたちがっただろうと考えている。ボロが出るのもメッキがはげるのも、時間の問題だったはずだ。
今また、ぼちぼち橋下氏が政権批判をしているのを見て、あんたあの時の「これからはテレビももっと政権に協力的な姿勢をとるべき」と堂々と言った姿勢はどこに消えたんだと怒るほど、私は彼のことばの賞味期限を信じてはいない。だが、それはそれとして、彼がまたこんな批判をはじめたからには、首相も自民党もこの先はあんまり楽な道じゃなさそうだなとも予測する。だからこそ、行き詰まってやけになって凶暴化して何するかわからんぞという警戒もする。
昔、まだ若いとき、大学院の後輩たちと飲む機会があった。その時の雑談が盛り上がったとき、私は誰かについてつい、「あの人が私に近づくか遠ざかるか大事にするか粗末にするかは、私に見えない、知らない周囲で、私の評価や評判がどの程度かどんなものかを知るバロメーターになるから、貴重な存在で大切にしないといけないと思っている」と、つい口をすべらしたら、思ったよりも勘が良かった(しかし、基本的には私のことを温厚でのん気と思っていたぐらいには勘がよくなかった)後輩たちは、かなり驚いて「板坂さんがそんな人とは思わなかった」と見直したかびびったかしたので、私はしまったと思ったことがある(笑)。
とにかく、記憶をみがくことだ。そして、周囲に右往左往する人なんかに、右往左往させられないことだ。
飼い猫カツジの月命日に続いて、二十六年前に死んだ愛猫キャラメルの命日がもう目の前だ。お花はもういただいたのを飾っている。問題は彼の好きだった魚のカワハギがお店でなかなか見つからないこと。去年もたしかそうだったから、いよいよの時のために、冷凍庫に、いつか買ったカワハギが保存してあるのだが、できれば新しいのを買ってやりたい。明日からしばらく、近くのスーパーを巡礼して、カワハギ探しをしないといけない。まったく、何という人生だ。
庭には、枯れ草の中から黄水仙が咲き始めている。今日も雨が降って暖かい。
