ガラパゴス以下
あんまり博多弁は使わないし詳しくもないのだが、この数日の雨はまったく、「しろしい」とはこのことかという気分だ。故郷の宇佐や豊後高田という町々の名が、大雨注意報とかでニュースに上がっているのを聞くと、「しろしい」とかどころではない段階のようで気になるのだが。田舎の実家の裏にある川は、今ごろさぞかし濁流になっているのだろうな。
ふだんは、おとなしげな川なのだが、これがいっぱいにあふれると、茶色の激流がすごいのよ。
雨の日の猫はひたすら眠いというが、私も今日は一日寝てばかりで過ごしてしまい、仕事はさっぱり進まなかった。すべて、方針は定まっているので、かえって油断してしまう。
朝のラジオで日本の少子化について、若い人もまじえて討論していた。防衛費やオリンピックと比して財源の出し惜しみを指摘していた人も一人いたものの、なーんとなく高齢者が優遇されてるのを削れという流れになりそうなのが気持ち悪かった。この話になるたび、絶対に抜け落ちてる視点は、高齢者をしぼりあげて病院に行くのもはばからせて、病気にしたり、貧しくしたりしたら、その負担はてきめんに離れて都会に住む若い世代にふりかかってくるのだぞということだ。田舎に住む母の世話を遠距離で見続けた私が言うのだからまちがいない。老親が健康で田舎の家を管理して、頭も身体もしっかりして、旅行や趣味で楽しんで、時には孫に小遣いでもくれる体制を維持しておくようにした方が、遠距離の子育て世代には、どれだけ救いになることか。金もなくて愚痴や不満満載で、長患いで入院して田舎の家はゴミ屋敷、畑は荒れ地になりという時期が続いたあげく、恨みがましく死なれるのは、後味も悪い。
政府のこのところの方針じゃ、金のない年寄りはとっとと死ねという気分らしいが、年寄でも何でも、そう簡単にはくたばらなくて、うまく消えてくれるまでは、長い時間がかかるし、それに直面して見守って消耗するのは、政府でも官僚でもなくて、若い家族ですからね。その実感がわかってるのか。
識者の一人が、「高齢者の医療には、無駄で役に立たない薬を欲しがり続ける患者とかもあって、そういうのは削る方が」とか言ってたけど、それは法律変えて高齢者の医療費全体をしめあげるんじゃなくて、現場の医師の指導で解決できることでしょうが。それができないほど医療関係者が疲弊してるのは、その環境を改善することが先でしょうが。どうして、大ざっぱな手抜き政策しか考えられないのかねえ。
一方で若い子育て世代への応援や支援やについての改革、少子化への対策だが、それで欠かせないのが、女性の待遇や役割を変えて行くことだ。でも、この点で今の政府はガラパゴスとか言うたら、あすこのイグアナに失礼なぐらい、時代遅れで時代錯誤だ。LGBTの人が隣に住んでたら身の毛がよだつとか言っちゃう人が要職についてるような政府だぞ。今から教育してたら時間も足りるわけないぐらい、硬直してるし遅れてる。まともな政策が出せるはずない、どう考えても。
岸田政権が統一教会と手を切る気がないのが見え見えだし、あそこの団体は夫婦別姓もLGBTも絶対に容認する気はないのだから、この点で今の政府が現実に即した女性対策や家庭政策を絶対に出せるわけがない。その実感がありすぎて、こういう討論会を聞いてると、ひたすらもどかしい。
庭では古参のバラが一気に咲き誇っている。そのかわり去年私を大喜びさせた、うるわしいピンクのバラは今のところしーんと静かだ。これから咲いてくれるのかしら。