復活する花たち
国会では保険証廃止など、この世のものとも思えない無茶苦茶な法案が嵐のような勢いで次々可決されている。原発の使用延長もだ。けちらないでいいとこでけちるのだからなあ。主婦としても落第の政権め。こんな救いのない展開を見せられ続けていたのでは、私がらちもない小説書きに逃避してしまうのも、まったくしかたがないんじゃなかろうか。
最近イチゴが398円あたりから298円とちょっとだけ下がってきた。喜んで買ってるけどさすがに安いだけあって、パックの下の方のが傷むのが早い気がする。もったいないから帰ったらすぐ私は大きめのタッパーにイチゴを全部入れ替えてしまう。
それで安心してちびちびと食べていたら、さすがに昨日はタッパーの中のいくつかにカビが生えていた。切り取って、残りを大急ぎで食べたけど、もはやイチゴの味もろくにしなかった。あー、もったいない。やっぱり少量ずつ買って即座においしく平らげるべきだな。ちなみに昨日リベンジで買ったパックのは、もちろん新鮮で、これぞイチゴと目を細める味だった。
昨日は髪のカットにひさびさに福岡に行く。高速を下りてすぐの、駐車場に適当にとめて運動もかねて歩いた。それはいいけど、帰りにどの通りだったかわからなくなり、黄色い愛車を探してうろついていたら、思いがけない食料品とレストランをかねた新しい店を見つけ、湯布院のサーモンとかの切り身がそんなに高くもなく売ってあったので、地産地消も知るものかと衝動買いした。ちゃんと刺し身にしてくれて、帰って熱いごはんと食べたら、うっとりするほどおいしかった。これからあの店に、ときどき立ち寄って食事してもいいな。しかし、また通りがわからなくなるかもしれないな。まあ大丈夫と思うけど。
昨日も書いたが庭では思いがけない花々の復活が目につく。横長の鉢に数年前に植えた桔梗二本は、もうしっかりと芽を出して伸び始め、あわてて回りの草をむしった。昔、田舎の実家の庭で、座敷から見える岩組の中から毎年必ず、すっと一本紫の桔梗が伸びて咲いて、母がえらいもんだねと、そのたびに喜んでいたのを思い出す。まだ咲いているのかな。もうなくなってしまったろうか。
上の前庭のすみっこに小さいバラの茂みがあって、これはもう何十年も前、この家が出来てまもないころに私が適当に植えた、庭一番の古株だ。しかしその後、草に埋もれて見えなくなり、何とか枯れずにいたものの、花はさっぱり咲かせなかった。ここ数年ちょっと庭をきれいにして、回りの草も切ってやったら、勢いづいたかにょきにょき四方に広がってきて、どうやらつるバラだったのかしらと思っている内、境の鉄柵にまでからみついた。しかし、花だけはやっぱり咲かない。奥庭がバラの花盛りとなった去年も、しーんと葉っぱだけだった。
もはや私は花の色も忘れてしまい、何だか白い野バラ風だった記憶もどこかに残っていたが確信もなかった。したらば昨日気がつくと小さめだが、血のような真っ赤な花が一つ咲いているではないか。わっと思って近寄ったら、すぐそばにもつぼみがひとつ。おおと目を上げたら、柵にからみついて伸びている枝先にもいっぱいのつぼみが。
一気にやってくれるなあ。
ろくに肥料もやってないし、かろうじて水をかけてやってただけなのに、回りをきれいにしただけで、ここまで栄えてくれるものかとひたすらに頭が下がる。
その下のマーガレットも、雑草の中にまぎれながら、それでもけなげに元気よく花を咲かせてくれている。
つるバラと言えば、奥庭でも私が伸び広がる枝に手こずってじゃまにして、鉄柵のすみに追いやったつるバラも、ここぞとばかりに勢いよく、ピンクの花を開き始めて、これも早めにつんでやって、家の中に飾りたいよね。しかし黄色いバラたちも、相変わらず次々咲いてくれてるんだよなあ。