コメダ珈琲店
用事があって、街に出た帰り、この前ジュンク堂で買った「赤毛のアン」シリーズの新訳の内、欠けていた「虹の谷のアン」と「アンをめぐる人々」を補充しようと博多駅の丸善に寄ったら、こちらもシリーズがそろってなくて、二冊とも買えなかった。
ちょっと失望して、「くうてん」の喫茶店に入って、パンプキンパフェと紅茶を飲んで友人にハガキを書いた。せっかくだから、駅のポストで出しておこうと駅前の広場に出たら、ちょうどホークスが優勝したらしくて、号外が配られていた。受け取ってながめていたら、いきなり「KBCですが」とマイクとカメラに襲われて、感想を聞かれた。
嫌いなチームでもないが、そう熱烈なファンを名乗るのもおこがましいので、「携帯で結果を見ていました、よかったですね」「どの選手が好きというより、チーム全体が好きなので」「これからもがんばってほしいです」と、あいまいな上に的はずれな返事をして去った。
たしか以前に劇団四季の「コーラスライン」を見た帰りも、こうやってロビイで突然感想を聞かれたことがある。こういう確率がどの程度のものなのか知らないが、私は何かしゃべりそうな顔をしているのだろうか。ただの偶然だろうか。わからない。
そして劇団四季の時の経験では、こんなローカルニュースは思ったよりもかなり大勢の人が見ているようで、後であちこちから「見ましたよ」と声をかけられた。ミュージカルより野球の方が関心は高いだろうから、もっと話題にされそうだ。
日本シリーズの経過を第一戦からネットで時々見ていた。そして、放送局が露骨に巨人に肩入れしているらしいのに、昔、母が元気だったころ、「長嶋にも巨人にも恨みはないし、もともと嫌いでもないけど、あんなに皆がもてはやして、もちあげて、えこひいきするから、どっちも大嫌いになった」とよく言っていたのを思い出していた。
そう言えば、母は王会長のことを「王は、まじめやもん」と、いつもほめていた。ちなみにSMAPでも「木村拓哉は、まじめやもん」と、他のメンバーより飛び抜けて高く買っていた。まじめ、と言うのは、母の一つの基準だったようだ。本人はいたずら好きで自由奔放だったが、自分にも他人にもふまじめなのは好まなかった。
多分、今のホークスのチームカラーを見ても、母は「まじめだ」とほめるかもしれない。六大学野球の慶応大学のファンだったから、プロ野球では好きなチームは一つではなく、ヤクルトや楽天も好きで、野村監督と古田捕手がひいきだった。巨人のことは、どの時点での話だったか忘れたが、ふざけて股間をつかみあう選手たちがいるのを「下品だ」と嫌っていた。「ふまじめ」とともに「下品」というのも、母が人を否定する基準だったかもしれない。
そんなことを思い出しながら、ネットの記事を見ていたら、審判までが巨人に有利な判定をするという指摘もかなり出ていて、あり得ないことでもないと私はひそかに憤慨した。ホークスのルーキーの一人が、それで崩れて四球を連発して交代したと言うので、私はあまり好きではなかったコメダ珈琲店に行ってやろうかと考えたぐらいだ。
そう言っても何のことか、人には恐らくわかるまい。
コメダ珈琲店は、最近私の家の近くに出来た。見た感じは悪くないし、メニューも豊富で値段も安い。しかし、どことなく、すべてが大味な感じがして、敬遠しがちだった。
そのルーキーはたしか名古屋の出身で、コメダ珈琲店はなつかしいので、どこでも見かけたらつい入ると言っていた。
それは、よくわかると、その記事を見たとき笑った。コメダ珈琲店は、名古屋が本拠地のチェーン店である。私もしばらく住んでいたことがあるから、あの街の雰囲気は決して嫌いではないのだが、独特の強烈な何かがある。それがあの店にはそのまま漂っていて、時にそれが息苦しい。その分、地元の人には強烈になつかしいだろう。
私がふだんの好みを変えて、その店にいりびたっても、そのルーキーの慰めにも巨人びいきの審判へのいやがらせにも、何一つなるわけはない。それでも、そういう腹いせを、ついしたくなるのが私の癖だ。
マイクを向けられた時、ちらと思ったのは「とにかく巨人が負けてよかったですねえ」と言おうかということだった。しかしそれも、両チームに失礼な気がして思いとどまった。母なら案外言いそうな気もする。
代わりに明日は、コメダ珈琲店に朝食でも食べに行くことにするか。
写真は、前にも少し紹介した、叔母の遺したベルト類。人にあげたりして全部は残っていませんが、きれいなので、また少しずつ紹介します。