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セダムの葉

私の飼い猫カツジは、カーネーションが好きである。とがった葉の先に首をこすりつけるのが快適らしい。そしてよく、花を折る。短く切って私はそれを別の小さい花びんにさす。

この前、いつもの花屋で、花と言うには地味な茶色の、カリフラワーのような、こんもりした植物を見かけ、シックな感じがいいかもしれないと思って買った。セダムという花で、ネットで見るとピンクなどのかわいい色が多く、茶色の種類の写真はなかった。

飾るといい感じだが、ずんぐりしていて、つけ入るすきがないからか、猫もあまり興味を示さなかった。ところがその後しばらくして、床の上でどたんばたんと騒いでいるので見に行ったら、花びんに入れるときに外れて落ちた葉が二枚ほど床の上にあって、猫はそれと戯れているのだった。

拾い上げてみると、意外に肉厚な葉で色の緑も濃く深い。おもちゃにするのは格好かと、また床に戻しておいた。

柿や梨やお菓子など、いろんな方からいただいたものが冷蔵庫に詰まっている。満ち足りた気分と、傷まない内に食べなければという、せかされる気分を、こもごも味わっている。古くなりかけていたインゲンを、今日は危うく救出して、他の野菜といっしょに煮た。さっきつまんだが、よい味になっている模様だ。

洗濯物をとりこむのを忘れていたのに気がついて、今、とり入れに行って来た。朝、干しに行く時、私の胸の高さほどの門柱の上に、細い蜘蛛の糸が一本だけあって、上方にまっすぐ伸びているのを見た。近くに巣も見えないので、どうしたことかと見上げると、高い電線の近くに、それほど大きくもない蜘蛛が、小さめの巣を張っていた。回りに一面何もない虚空で、獲物をとるにはよさそうだが、どうやって張ったのか、聞いてみたい気がするほどだった。

以前からよく、この門柱の間に巣を張る蜘蛛がいて、こんな人の通り道にわざわざ張るとは何と商売下手な蜘蛛だろうと、通って壊しながら嘆かわしい思いがしていたのだが、この高さに門柱からたった一本の糸を張って作った蜘蛛は、それに比べて発想も技術も大したものである。

先日、街で買ってきた「赤毛のアン」の新訳をベッドに横になっては少しずつ読む。村岡花子の訳がほぼ記憶に残っているので、それが二重音声のように頭の中で響く。新訳はさぞ苦労したと思うが、ときどき、ん?と思うものの、全体として折り目正しくひかえめで、悪くない。

古文辞学者の荻生徂徠に言われるまでもなく、原文で読むのが一番いいのだが、その能力がない私には、こうやって複数の訳を読み比べると、重なり合うことによって、原文の味がある程度うかがえる喜びもある。二つの訳に共通した、風景描写の美しさを見て、やはりモンゴメリの表現は優れていたのだと、あらためて知るのも喜びだ。

全編知り抜いているシリーズだから、どこからでもかまわない。今は「アンの青春」を読んでいる。昔、文庫本の村岡訳も一応は読んだが、その前に子どもの本で読んだ印象が強いので、そこではカットされていた部分を、じっくり楽しめるのも、また幸福だ。

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カツジ猫