ゴジラ。
◇今日の午後、母のところに行ってみたら、目の腫れもだいぶ引いて、ふつうの顔に近くなり、ベッドに座って若いきれいなヘルパーの女性お二人に、優しくしてもらっていて、タイ焼きをむしゃむしゃ食っていました。私を見ると、「あれ、どなたでしたか」と、ジョークを言ってみせる余裕でした。
もっともまだ酸素吸入はしていて、数値もちょっと悪くて、やっぱり肺炎らしいとのことです。お医者さんも毎日来てくれているようで、ありがたいことです。
◇福岡まで行って「帰ってきたヒトラー」を見るのは時間的に厳しそうだったので、福津のイオンで、何かと話題の「シン・ゴジラ」を見てきました。なかなかよくできていて、楽しめました。(以下ちとネタばれ)私は最初に登場した、いも虫ゴジラを「なーんだこんなのか」と、すっかりバカにしていたので、だんだんちゃんとバージョンアップして行くのに、おおーと、心地よくのけぞりました(笑)。
デモ隊の描写がバカにしていると批判している人もいましたが、あれはそういうこと以前の問題でねえ、何しろこの映画、民衆はひたすらアリンコのように右往左往して逃げまどってばかりで、あとは避難所でラジオ体操してるとか、そういう描写しかなく、食堂のおばさんだかが、毎日おにぎり持ってきてくれる以外は、庶民はまったく登場しない。そりゃ「世界をゆるがした十日間」とかみたいに、民衆のうねりや鼓動を活写しろとは言いませんが、無知なる大衆、無名の市井人というかたちでも、そういう人をまったく登場させないのは、いっそサワヤカなぐらいです。米国との対立や核兵器の使用やその他もろもろ緊急非常時の矛盾や懊悩で迷い苦しむのは、すべて権力者、エリート、政府や軍の幹部だけ、しかも野党はまったくいない。
その選択肢や迷いや懊悩の図式は、とてもきちんとわかりやすく、上手にうまく、わりと正しく描かれてるので、そうはちゃめちゃではないどころか、説得力も迫力もあります。まあ民衆や野党が果たす役割を、全部与党内でわかりやすく図式化しましたと言えば、そうも言えないこともない。限られた時間の中でこれだけのスケールの話を描くなら、それもひとつの手法でしょう。
でもね、日本の古い映画でも、ハリウッドの娯楽大作でも、やってないようで案外いつもきちんと、「庶民の視点」「反対派の立場」は描いていたと思うのよ。「トランスフォーマー」だって、大統領とともに、普通の家庭の坊やが参加するし、「アラビアのロレンス」でも砂漠の民を、すぐ死ぬような脇役でも大切に扱っていた。豪華客船の船底部分に押しこめられて、沈没の時は脱出さえも許されない最下層の人々の中の一人として主人公のディカプリオを描いた「タイタニック」は言わずもがな。
小松左京の「日本沈没」は、わりと今回の映画の図式に近く、支配者の与党が代表的な動きしてるけど、その中で孤独な決断を迫られた総理が、誰かに相談したいと思ったときに、実際にはしないけど、ふっと思い浮かべるのがふだんの政敵である、野党のリーダーの顔なんだよね。そういう形ででも、「シン・ゴジラ」は野党的な存在をいっさい描かない。
◇だから観客は徹底的に、支配者、与党の立場でものごとを考えさせられてしまい、民衆は、エリートたちに自分たちの運命をまかせっきりにして、不幸になったり幸福になったりするだけの存在にしか見えない。「七人の侍」の百姓どころじゃない、アホな弱者だ。デモ隊の描写なんて、むしろよくワンカットでも入れたよねと思うぐらいだ。これが監督や制作者の世界観なのかなあ。うちのカツジ猫じゃないが、足腰が弱くて貧弱で、頭だけでっかい奇妙な生き物のように思える。ここで描かれた日本も、世界も。ゴジラのあの下半身の安定ぶりに比べて、ものすごく弱々しい。下半身がスカスカだ。
いいのよー、別に。そういう話とわりきって見れば、楽しめるし。
でもね、この年まで生きて私があらためて実感するのは、日本の(多分世界も)社会を支えているのは、無名の大衆の中の、聡明で能力の高い人たちの多さなんだよね。いつの時代も多分そう。したたかでもあり、高潔でもあり、実際に高い教養や豊かな経験もある、ある意味落ちこぼれ、ある意味負け犬のそういう人たちがいるから、土台がしっかり支えられているんだよ。エリートなんて、特に今の日本の政府は、質も低いし、ただのアホです。どう見ても、どう考えても。
そういう、根本的なところで、世の中の把握のしかたが、私とこの映画、根本的にちがう。ただまあ、ちがってるくせに、変にわかったふりをして、お涙ちょうだいの家族ドラマをくっつけたりとかは、全然しようとしてないあたり、この映画はいさぎよくて、まあこれもありかと思える。
それでもね、そういうことがわかった上で、見て楽しむならいいんだけどね、ぼやっと見てたら、ごくごく自然に「あ、緊急事態条項は絶対必要なんだ、そりゃ」って、思ってしまいそうな映画ではある。そういう法案の危険性や、民主主義の重要さがよくわかった上で、「これはこれで」と、わりきって見るのはともかく、無意識に、いつの間にか、政府や支配者への無条件の信頼感を抱いてしまうことだって十分にありそうなのが、なかなかに無気味ではある。
それはともかく、圧倒的に強いだけで、一切何も語らない、最後まで何を考えてるのかわからないゴジラは、なかなか魅力的だった。そしてやっぱり私はこの手の映画を見ると、ゴジラの方を「気の毒に」と感じてしまう。「くそ、無人機とは卑怯な」とか、「そこでもっとビルこわさんかい」とか考えてしまう。何なんだろうないったい。
◇大新聞が報道もしない、沖縄高江のヘリパッド基地建設の実体。1万人まで、あと少し!それでもまだまだ少ないです。署名拡散、どうぞよろしくお願いします。