朝の電話。
◇先日、学生たちがうちに遊びに来てくれて、料理なんかしない私はいっしょにスーパーで食べるものを買いました。私が高いブドウを買おうとするのを、堅実につましい学生たちは「高すぎる」とおしとめて、ようやく一番安い巨峰を買ったのですが、それをテーブルに出し忘れてしまいました(笑)。
しょうがないので、今朝、イマン製のピンクとベージュのお皿にのせて、朝食のデザートにしました。見た目もきれいで、いい気持ちでコーヒーなど飲んでいたら、9時すぎに電話が鳴りました。
さては母の容態が急変したかと、葬式の手配など頭のすみで考えながら受話器をとったら、大学の大先輩からで、鹿児島大学の中山右尚先生が亡くなったのを知っている?と、教えて下さったのでした。
私は大学の近世文学研究会のメールで昨日知ったのですが、詳しい事情はわからないまま、今日のお葬式に弔電を打っていました。大先輩の先生のお話では今年の初めに病気が見つかり、手術をして経過もよかったのだけど、結局だめだったのだとか。
◇中山先生は立派な研究者で、大学の要職も務められ、でも、そんな業績や肩書からは想像できないような、飄々と洒脱な優しい方でした。中村幸彦先生が、九大から関西に移られるとき、福岡の室見川の料亭で送別会をしたとき、女装して舞台で踊られたのを、中村先生が途中まで気づかず、私たちがやきもきしていたら、ようやく気づかれて、「お、中山君や、あれ見、あれ見」みたいな感じで、指さして破顔一笑されていたのを、遠くからうれしく拝見したのを覚えています。
その後、大学関係のいろんな会議や学会でお会いするたび、楽しくお話して、特に銀太だっけ、ちがうかもしれない、そんな名の大きな洋猫の写真を見せていただいたり、去勢手術をして帰ってきたら、麻酔がさめてなくて、よろよろしてるのを見て、ああ絶対最後まで面倒みてやらなきゃと思ったと話されていたのも覚えています。
その猫はその後行方不明になって、ずいぶん探したのだけど見つからず、やがてまた多分レオ(これもきっとちがうよな)という次の猫を飼いだした話もうかがいました。
カツジ猫が来て間もないころ、学会で彼の写真をお見せしたら、他の人はかわいい!と言っていたのに、中山先生は「あー、これは、何かあるよねえ」みたいな、カツジ猫の心の闇(笑)を見とおしたような感想を言われて、私は「さすがですね」と喜んだものです。
気骨も気概もある方でしたし、自由に楽しく生きられたはずだと思うから、悔いはないとは思うけど、まだまだそんなにお年ではなく、私よりちょっと上ぐらいで、むしろこれから悠々自適で研究に励まれる晩年と思っていたので、残念です。今の日本の教育政策、大学政策のもとで、大学を守っていくために、こういう方が要職にいていただきたいと心から願う人でもありましたが、大学行政の大変なお仕事で時間を費やされたにちがいないと思うと、それもくやしい気がしてなりません。
◇電話してくださった大先輩も、ずっとお年は上ですが、細やかな気配りと、すぐれた研究をされている立派な方で、わざわざ教えてくださったありがたさが身にしみるとともに、何だか人恋しい気持ちになっていた自分に気がつきました。以前、近くで電車が事故を起こしたときに、昔名古屋にいたころの同僚が「大丈夫ですか」とハガキをくれたりしたこともあって、ときどき、そういうことのあるたびに、どこかから自分を見てくれている暖かく優しい目を感じます。
中山先生も、たまにお会いするたびに、そういう信頼と安らぎを与えてくださる人でした。一方で若い人たちの心配りや思いやりにも、頼もしく感じることは多いので喪失感や寂寥感が強いということではないのですが、やはりまた一人大切な人が、あっちに行ってしまったな、そっちの方も面白そうだなと、ふと思います。あの世を信じているわけじゃないけど、年を取るということは、直接知っている死者の数が増えていくということで、死後の世界がなじみぶかく、楽しげなものに見えてくるということは、否応なしに、たしかにあります。
◇うぎゃうぎゃうぎゃ、もうこんな時間かい。仕事しないと仕事しないと。