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ジンジャー、ジャスミン、それにアジサイ

昨日の朝は少し涼しかったので、中庭の茂りまくっていたジンジャーを思い切り刈り込んだ。隣りの土地との境もすっきりなってよかったが、調子に乗ってちょっと切りすぎたかしらん。ジンジャーの花を飾る期間はわりと長いので、花が足りなくなるかもな。まあいい、そうしたら久しぶりに花屋さんの花でゴージャスな気分になってやるもんね。

今朝は(もう昨日か)雨模様だったので、アジサイの茂みを刈り込んで、からみついていた野バラとジャスミンを駆逐した。したらばバラで腕を引っかき、血が流れまくって、マッサージのスタッフのお兄さんから「どしたんですか」と驚かれた。
 切ったアジサイは、花を取って、これも数日前に草むしりして空けておいた鉢に挿しまくった。今日は午後からかなり雨が降ったので、うまく根付いてくれるといいが。

ついでにジャスミンも少し刈り込んだ。案外行けそうなので、もう一回か二回、朝飯前の仕事をすれば、何とかこれもすっきりなるかもしれない。

上の家の居間もかなり片づけて古紙や書類を処分した。叔母の亡くなった後の相続の手続きだの、昔の小説を全国の図書館に寄付した手続きだのの書類が山ほど出て来て、なんかもう、くらくらした。よくもまあ、こんな作業をやりながら生きて来られたものだよなと、あきれながらも感心する。

自己満足に過ぎないけど、一応これでもきれいになったジンジャー周辺をお見せしておきます。あ、でもこれ、以前のジャングルもどきの光景をお見せしないと、「どこがすっきり?」と首をかしげられそうだよなあ。

朝ドラの「虎に翼」、ヒロインが仕事で家庭をかえりみる暇がなく、子どもたちがいい子のふりをして、無邪気な顔を見せなくなったという展開に、視聴者が寅子とともにショックを受け反省している。それはよくわかるし、共感もするが、これだけ皆の意見が一致すると私は何だか落ち着かなくて、ついまた、いらんことを感じたり考えたりする。

男女に関係なく、「親の前で緊張し、いい子にしていようとする」傾向や風景や心情を、私はあんまり悪いものと思えないのだよね。それだけじゃ困るし、無理をしたり、苦痛になったり、歪んだりしちゃいかんけど、そういう気持ちって美しいし、魅力的だとさえ思う。「となりのトトロ」の映画で幼いサツキが、入院中のお母さんの前で、どこか神の前に立つように慎ましくしていた、あの感じは、心を打った。

ちなみに私は上にも下にも、そういう感じはむしろなくて、友人や周囲にも、「気を許せる」「のびのびできる」「何でも言える」「自分を見せられる」と言われることも、どっちかと言うと多い。「特技は人になめられることです」とやけで、自己紹介してたこともある。

「あの先生は恐い」とか言われるのはどんな意味でも私は大嫌いだったから、そういう状況はいやじゃなかったし、満足だし快適だった。だけどさ、あんまりしたい放題されるとさ、そんでもって友人知人に「あなたの前ではくつろげる」とか年中言われてたりするとさ、ぶちきれて「くつろがないで!」とどなりたくなることもあるのさ。

多分、私の親友とか飼い猫とか、ごく親しい教え子とか、そういう人は私にはかなり気を使って警戒し用心してると思う。だからこそ、親友で、親しくしつづけていられるんだと思う。相手を「恐い」と言ったり「くつろげる」と言ったりする人って言うのは、結局そういう言い方で気をゆるめてるし甘えてる。そんな気がしてならない。

最近はまってるアニメだかコミックだかの「忘却バッテリー」は、野球漫画の枠を超えて、普遍的にこういった問題をも洗い出し、くすぐって来る。コミックの15巻で私が抱腹絶倒したのは、いつも「いいやつ」と周囲に思われていた少年が、その「都合よく使われる」状況にぶち切れて藁人形とか作っちゃう話だったし(これが、いじめでも何でもなく、周囲は本当に感謝し、好感を持って彼を扱ってたというのが秀逸よね)、主人公たちの一人の山田君は、たいがいシビアな感想を友人たちに抱いてるけど、それを表には出さないで、とことんいいやつであることに成功してる。安直ないじめや対立がなく、むしろ気高いぐらいに皆がまっすぐで純粋で、しかもその中で、そういう関係がちゃんと描かれているのが、そんじょそこらの純文学など凌駕しそうな、みごとさだ。

しっかしまあ、どーでもいいこと言うと、私は登場人物のすべてが甲乙捨てがたく皆好きだが、しいてあえてと言うと昭和の不良と言われてる藤堂君が好みなのが、自分でもあきれるなあ。まあショーロホフの『開かれた処女地』ナグーリノフが好きだったことを思えばどっか一部分での好みは変わってないのかな(笑)。

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カツジ猫