ソドムの市
朝から笑っちゃった。
「テルマエ・ロマエ」なんかの漫画で有名なヤマザキマリさんが、朝NHKのラジオでパゾリーニについてしゃべっていたのだけど、彼女がとても若い時、イタリアに単身留学して、知り合ってまだ二週間ぐらいの現地のボーイフレンドに連れて行かれて見た映画が、パゾリーニの「ソドムの市」で、もう衝撃で(そりゃそうだろう)度肝を抜かれ、とんでもない国に来てしまったんじゃないかとびびったというのだ。でもそれをきっかけにでもないが、パゾリーニが好きになり、人生に欠かせない存在になったと言って、その作品や人柄について熱く語っていた。
おぞましい、すさまじい映画だが、私は公開時にはまって友人や教え子も誘ったりしてたしか四五回かもっと見た。サドの断片みたいな作品をもととして、時代を第二次大戦末期におきかえ、絶望した権力者や富豪のファシスト数人が若い男女十数人を拉致して、人里離れた豪勢な屋敷に閉じ込め、残虐の限りをつくして皆殺しにし、自分たちも死ぬという、さわやかなまでに酸鼻と汚辱にみちた作品だ。それを寸分のすきもない構成と描写で描ききってくれるから、腹が立つけど見てて気持ちいい。
見た人たちの感想も、ただもうげんなりしているものが大半だけど、何度も見た者の目から言うと、この話、基本的な価値観というか筋立てというかは、意外とちゃんとしてるし骨太だし、観点も視点もゆらいでないんだよなあ。
私はこの映画を見るたびに、かんしゃくを起こして当時のブログに書いたし皆にも言ってまわってたんだけど、なんぼ兵士や用心棒みたいなのに、見張られているとは言え、たかが数人のじじいと、その雇われマダムみたいな語り部数人の中年おばさん相手に、ぴちぴち元気な若者十人以上が、ひとつのへやに閉じ込められて眠るときもいっしょなのに、何をボケっと過ごしておる、脱走計画とか反乱計画とかのひとつも練らんかい!ということしか考えてなかった。
彼らは糞を食わされたり、最後は恐ろしい殺され方をするものの、最初の段階では、おばさんたちからピアノ伴奏付きで、世にも恐ろしい話を聞かされ続けるだけで、道徳や常識やまともな感覚を耳から破壊されまくるものの、身体的には何のダメージも受けていない。その間に反乱や闘争の計画をとっとと実施せんかいと、もうそればっかりイライラしていた。
でも、この映画はちゃんと、それは無理だろうということも見せてくれるのだ。
とらわれて陵辱されまくる若い男女は皆タイプがちがった美しさで、それだけでももうなかなか目の保養になるのだが、最初にその中にちょっとごついけどかわいい男の子がいる。サディストじいさんたちは手当たりしだいにさらって来てるので、この子の親は共産党員ということになっている。ということがわかってすぐ、この子は屋敷に着く前に、脱走して背後から撃たれて殺されてそれっきり。
彼が一番幸福だったんじゃないか、と書いてる感想もあるし、事実そうだろう。でも私は、この共産党員の息子がただ一人、この早い段階で脱走を試み、そして一番楽な死に方をさせてもらえていることに、あ、この映画健全じゃんと思った。積極的に現状打開を試みた人間を残酷に扱っていない。まあ、これを見た他の子たちがびびって以後逃げるのをあきらめたというマイナス面はあったかもしれないが、これを参考に後に続かなかったのも彼らの責任だ。
最後の最後に中庭で、少年少女たちが目をつぶされたり焼かれたり無残に死んで行く中(その映像処理もチラ見せでうまく処理してある)、部屋の中ではレコードに合わせて若い二人の兵士が踊っている。と思うが、よく見ると、その一人は拉致された少年の一人である。彼は最初の段階で、サディストにキスされたとき、抵抗しないで笑みを浮かべて受け入れて以来、上手にとりいって、ついに仲間にとりたてられる。そうかこういうやつもいるから夜中の謀議も難しいかと思いもするが、じゃこうやって生き延びる手もあるかと思うと、そこはどっこい、もう一人似たような反応をする少年がいるのだが、これはどうしてか気に入られないで、最後はとことん残酷に他の子たちと殺されている。敵や支配者や暴君にとりいるのも、そうそう簡単には行かないということも、ちゃんと見せてくれているのだ。
少年少女の中でまあ一番目立つのは、文句なしに美しく清らかで健全な二人で、サディストの花嫁にされる少年と、拉致されるときに抵抗した母親を殺された少女だ。この二人は最後まで抵抗や反抗はしないが迎合もせず飼いならされもせず、ただただ純粋に美しく素直で苦しみながらいいようにされる。それはそれで立派かもしれない。この二人が典型的で象徴的だが、他の子どもたちもおおむねそうだ。情けないといえばそうだが、今あらためて思い出すと、現代日本の善意で謙虚で優しい若者たちと、この子どもたちの行動や反応はまったく全然不自然でなく重なる。こうやって、反抗も脱走も迎合もできないまま、羊のようにおとなしく、ずるずるされるままになって行きそうなのは、ちっとも予想できないことではない。
最初に彼らをことばで陵辱しまくる語り部のおばさんたちも、最後はいっしょに殺されている。ピアノの伴奏をしていた女性は、中庭での虐殺を目にしたとき、静かに窓から身を投げて死ぬ。ひとりひとりの立場や生き方が見落としなく描き分けられ、あなたはこの中の誰になるのかという問いかけが、オーソドックスなまでにきっちり提出されている。
パンフレットは買っててどこかにあるはずだ。DVDを買うまでのパワーはさすがにもうない。でも、あれは決して猟奇的なだけの映画じゃないよ。芸術としてすきなく完成してる上に、主張やメッセージもちゃんとしてる。実際、もしかしたら、あれは今の日本の状況とどっか重なったりさえする。