トイレの生理用品
どこだったかの地方議員の女性が、「トイレに無料の生理用品を置いてほしい」みたいなことをネットで書いたら、けっこう賛否両論があって、まあ賛成の方が多いのかな、よくわからない。
私自身は、たしかにあれば便利だろうなと思うし、一時はけっこうあちこちの公共や職場のトイレに有料の自動販売機があったようだけど、このごろはあまり見ないなとか考えたりしている。まあ最近は生理用品よりも紙おむつを常時使用してないと、めったにトラブルはなくても何となく不安だから、一個や二個はバッグに予備も準備はしている。
ただ、経血の多さって、ほんとに人によってちがうのよ。もう二十年も前、子宮筋腫の手術をする前の時期なんて、私も毎回生理のときの血の量がものすごく、映画一本見る間でも相当重ねて使用してても不安なぐらいだった。だから「一個ぐらい予備をバッグに入れておけ」「そのへんのコンビニに行って買えばすむ」とのご忠告も多いようだが、会議の最中とか、それでは間に合わない人だっているはずだから、あんまり役に立つ忠告ではない。こぎれいなエチケットとかの水準ではすまない場合だって少なくない。
それもだが、私が気になるのは、たしかもう何十年も前に、東大だかどこかの大学の女子学生たちが、今回とまったく同じような「トイレに生理用品を常備しておいてほしい」という要求を大学かどこかに出したことだ。ニュースにもなった。
私は今回とまったく同じ「そりゃ、あればいいよねえ」ぐらいの反応だったのだが、それより正直相当に驚きショックだったのは、当時、フェミニズムやらその他やらで、最前線で活躍していた有名著名な女性たちが、多分一人も支持や応援をしなかったどころか、「みっともない」「非常識」「情けない」と、もうびっくりするほど激しい反発をいっせいに示したことだった。
まあマスコミがことさらにそんな意見を取り上げたのかもしれないが、当時の報道はある意味今よりちゃんとしてた印象もあり、そんなに偏った選択もしてなかった気がする。とにかく若かった私は、そのことがけっこうな衝撃で、もしかしたら私でも学生だったらそんな要求もしかねなかったし、こんな先輩たちの怒りや反発も絶対予想してなかったろうと思って、いやもう私には珍しく、ああ自分じゃなくてよかったとちょっとびびり、女子学生たちのことを心配した。
その時のとまどいと宙ぶらりんなままの気分が、今もそっくりそのままだ。
いまだに謎なのは、当時の進歩的な女性たちが、多分相談もしたわけではなく、何でああまでいっせいに、あえて言うならヒステリックに逆上して拒絶反応を示したかだ。何となく、理屈ではなく、「そういうことに触れるな!わがままを言うな!みっともない!意識が低い!世間を女子トイレや生理用品に近づけるな!触れさせるな!話題にするな!忘れて生きろ!」みたいな感覚的なものさえ感じた。
今回、男性もふくめて、この要求にあんまりバッシングがないのは、要求した女性議員が共産党なので、組織として守るというか(別に悪いことではない)そういう意識も働いて感情的な反発が控えられているのかもしれない。よせばいいのに(笑)、かのすっとんだ差別主義者の杉田水脈氏が妙に「予備を持つのがエチケットですよ」みたいな上から目線のコメントをしたりするから、ますます変に敵味方が生まれてしまっているのかもしれない。
今さら、あの時感じた疑問や謎を分析解決しようとは思わない。したい気はあるが、そんな時間がない。それでもあの時のすさまじいバッシングと、進歩的女性たち(と、まとめていいか知らんけど)の心の闇とまでは行かなくても薄暗がりとは何だったのだろうという私のもやもやは、まだ当時そのままに、いわば凍結されている。
こちらは庭の藪の中の椿。そこそこつぼみがついてて、うれしい。