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ニオベさん

夏もたけなわ、どっかに遊びに行きたいよ~。

でも経済的にも時間的にも体力的にもなかなかそうも行かないので、ひたすら家の片づけと庭の手入れを楽しむことにしようと思う。まあ、それも悪くはないもんねー。

今朝は何とか早起きしたので、タッチの差で間に合って、ぱっちり開いた朝顔を写真に撮れた。うふうふ。

実は去年、この表庭に紐まではって、たくさんの朝顔を咲かせたのに、そのあとバテて、結局咲いたあとの始末が何もできなくて、種のひとつも取れなかった。

そうしたら勝手にこぼれた種がいくつか芽をふいて、今年も数本の朝顔がひょろひょろ植木鉢にあらわれた。


 中でもびっくりしつつ反省したのは、適当に並べていたれんがと壁の間の、土なんかまったくないはずのところから一本のつるが伸びてきて、ちゃんと花まで咲かせたこと。水だってろくになかったはずなのに。すまんすまんと謝りながら毎朝石の間に水を注いでやっている。

それから昨日の書き込みの最後で、「自分の子どもは健康で」と自慢?した参政党の代表に私は、「自分が親ならそんなこと言ったら、子どもに何が起こるかわからないから、恐くってそんなこととても口にできない」と言ったのだが、その心理や意味がのみこめなくて、ん?と思った人ももしかしたら、いたかも。

私が特に本能的にこんなことを考えてしまうのは、思えば子どものころの読書のせいですね。とにかくとっさに思い浮かべるのは、ギリシャ神話のニオベの伝説。子ども向きの本なのに今思うと名訳で、私は今でもあちこちの文章を覚えている。「けれどもアルテミスは兄のアポロよりももっと厳しい女神です」とか。容赦ない処罰や報復もあれで知ったし、最近の人の名前は正直再生の道の石丸氏とかでさえ忘れていたぐらいなのに、七十年前に読んだっきりのニオベの名はしっかり覚えていたのも、若干恐いわ。

この人、ニオベさんは息子も娘も多くて立派で、幸福の絶頂にあったので、つい女神のレトにそれを自慢してしまったのですよ。そうしたらレトの息子のアポロと娘のアルテミスが、ニオベの子どもたちを皆次々、矢で射殺してしまったという。悲しみのあまりニオベは石になった。

検索したら、かなり詳しく紹介してるサイトもあって、ちょっと長すぎるけど、まあ気軽に読めるし面白いからリンクしとくか。絵も多いですし。楽しめそう。

これです。

これが幼いときの記憶に刻み込まれてて、「変な自慢をすると、とんでもないことになる」が、美しい文章や面白い内容とともに、しっかりよみがえってしまう。まあ正しい教えだったと思うし、神話や古典って、こういう役にも立つんでしょうね。

でも思えば、あの代表の言い方や多分考え方がアホらしいだけで、「病院に行く必要もない元気な子ども」がいるのは、障害や病気のある子どもたちにとっても決して悪いことじゃないんですよねー。大人だって高齢者だって同じことですけど、そうやって、医療にお金を使わないでもいい人が多いほど、その人たちの保険料や税金が、病院にかかる人たちを支えてくれるわけなんだから。そういう点では、健康で幸福な人にも感謝しなくちゃいけないんですよね。本来は。理想的にすべてが機能していれば。

先日テレビのバラエティを見ていると、タレントや有名人たちが、「他人の幸福を嫉妬しないか」「チャンスやお金で恵まれた友人知人がいた時、とっさに何を感じるか考えるか」と、面白おかしく話し合っていました。いろいろ面白かったのですが、嫉妬するとかうらやましいというのが大半というより前提で、「心から祝福する」「気にしない」というのは、ほとんどなかったのではないかな。私のような発想はひとつもなかったのは確かです。

私は他人が幸福だと、心の底からほっとする。ほっとしかしないと言った方が正確か。とっさに思うのは、「あー、もうこれでこの人から借金を申し込まれたり、迷惑をかけられたり、嫉妬されたりすることはない。よかったよかった」でしかない(笑)。
 幸福な人間ほど、じゃまにならない無害なものはない。私は恋人同士がべたっとくっついてキスとかしてるのを、苦々しげに見る人の気持ちがまったくわからなくて、そういうのを見ていやがる学生たちによく、「何が文句があるんだ。あれほど人に迷惑かけない無害な存在はないじゃないか。自分たちのことしか考えてないんだから」と、よく言っていた。

若い時は私もときどき、結婚しろとか子どもを持てとか勧められることがあって、まあ皆が皆そうではないが、私の感覚では少なからず、こう他人に言ってくる人の結婚生活や家庭生活は幸福じゃないんだろうなと感じていた。「子どもはいいもんですよ」「家庭はいいもんですよ」と強調する人に限って、満たされていなくて、人の暮らしや幸福や未来に関わりたがるようにしか見えなかった。本当に幸福で満ち足りて満足していたら、同じものを他人に勧めるものか。自分の幸せは自分にしか築けないし、他人に通用するわけがないし、そもそも他者の人生に口を出す暇などあろうはずがない。金だってそうで、宝くじでも株でも何でも友人知人が莫大な富を手にしたら、瞬時に私が感じるのは、あーこれでこいつは心配ない、私に借金を申し込んで来ることはない、という安心感だ(笑)。

わけもなくライバル視され、肩書や業績で妙に対抗して嫉妬され時には敵意を抱かれるのが私は何よりもうざくて面倒でいやなのだが、そういう人の努力が報われて、それなりの評価を得て、私以上の名声や評価を得ると、心の底から私は祝福し、どうか死ぬまでこれで満足して幸福になって私のことは忘れとけよと祈ってやまない。何だかだって、世界中の人に私はそうして満ち足りて幸福になって、私のじゃまなどしないでいてほしい。だから政治にも社会にも目配りをして、不幸な人や国を増やさないようにしているだけだ。

まあ、あんまりうざいニオベさんがいたら、矢で射殺して片づけるかもしれないが、今のところまだそういうことはなくてすんでいる。

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カツジ猫