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ニワトリ。

猫虐殺事件について、ずーシャキさんという方が作って下さった動画です。
悲しく切ない話ですが、恐い画面はありません。
どうぞ皆さん、ごらんになって、拡散して下さい。
ひきつづき署名にもご協力を。

https://www.youtube.com/watch?v=j-N1TxQLlgQ

◇こんな話を聞くときに、私が思い出す記事があります。
わが家はずっと「週刊朝日」を購読していたのですが、いつごろだったろう、70年代の終わりごろか、何となく、昔ながらの内容から、時代に合った新しい傾向を模索しているようで、次第に誌面の雰囲気が変わってきました。
文化面のコラムが夏目何とかさんという方になって、しばらくしたころ、暴走族の若者たちが、民家の庭先にいたニワトリを捕まえて、海辺に連れて行って、砂に身体を埋め、口から醤油を注ぎながら火をつけて、焼き殺して食べたと言う話が書かれていました。ニワトリは狂ったように暴れて鳴いて、でもその肉はおいしかったので、リーダーのその行動に呆然としていた若者たちも、「またやりたい」と興奮気味に話している、とそのコラムは結ばれていました。

特に非難するのではなく、面白おかしいというノリでもなく、何が目的か何をねらっているのかよくわからない書き方でした。そのことも無気味でしたが、その瞬間に私は「週刊朝日」はもう何か決定的に恐ろしいものに変わってしまったと思ったし、それはそのまま、世の中が何かたがが外れて狂いはじめているという強い予感でもありました。

大学院生のころか就職したばかりのころだったかもしれません。あの時に私は何か、覚悟を決めたような気がします。もう日本という国からも知識人とかマスコミとかそういう人たちからも、決して守ってはもらえないだろう、そもそももう、国にも人にもそんな力はないだろうという。

恐ろしいとか怒るとかいうより前に、私はただ絶望しました。静かに、深く、決定的に。その記事に、とっさにどう反応していいかわからなかった自分への、それは絶望でもありました。

◇私はそれ以後、職場やその他いろんな場所で、女性として差別されるたびに、サフラジェットも市川房江もジャンヌダルクもエリザベス女王もマーチンルーサーキングも思い出さないで、いつもそのニワトリだけを思い出しました。庭で遊んでいて、いきなり連れて行かれて、見たこともない浜辺の砂に半身埋められた時の当惑、押し寄せるすさまじい熱気と激痛、水を求めて開けた口に注ぎこまれる醤油。

何が起こっているのか、きっと、わからなかっただろう。
何をされているのか、きっと、わからなかっただろう。
わからないままに、わからないままに。
何ひとつ、わからないままに。

そのニワトリの味わったすべてを思い起こし、細かく想像することで、いわれなく自分が浴びせられたことばや、受けたしうちを考える勇気が出ました。

理屈じゃないです。ただ、それだけ。

書いた人のことも、載せた雑誌のことも、その意図も、今の気持ちも、考えたことはない。考えたくない。これからも、決して。
ただ、あのニワトリのことだけを、私は死ぬまで忘れません。
自分と痛みをともにできる、ほとんどたった一つの存在として。

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カツジ猫