ヘカベーの希望
カコヤニス監督の「トロイアの女」という映画がある。映画館で見てビデオも買って持っている。DVDにはまだなっていない。もしこのビデオを誰かにうっかり廃棄でもされたら私の命も終わるのじゃないかと思うぐらい、私にとっては大切な映画だ。さっきネットのオークションで見たら、5000円で落札できそうだ。予備に同じのをもうひとつ買っとくかな。ひょっとなくした時に気が狂わないために。
てなことは、まあどうでもよくて、これはもともと紀元前のエウリピデスのギリシャ悲劇で、トロイ滅亡のあとの生き残った女性たちの群像を描いている。男たちは皆殺され都は焼かれ女たちは敵の奴隷となって連れて行かれるしかない、まあみごとに絶望的な状況の中で、それでも英雄ヘクトール(とっくに死んでる)の幼い子どもを守る妻のアンドロマケーなどとの会話の中で、ヘクトールの母でかつてのトロイの女王ヘカベーは、かろうじて未来にわずかな希望を見出し、再生に向けての夢を抱く。キャサリン・ヘプバーン演ずるヘカベーは絶望の中で、それでも大きな未来への期待に顔を輝かせて「新たな計画が次々生まれる」と口にする。そのスクリーンいっぱいに広がる彼女の顔の絶望の中から立ち直ろうとする力強い目の光が、忘れられない。
今の私もそのように、粉々になった未来の復元に全力を注ごうとしているのだが、もとの通りになることはないにしても、何とか何かは生まれるだろうと気持ちが明るくなったとたん、何だかもう、その時のヘカベ―の顔の輝きを思い出すのだよね。その直後にヘクトールの幼い子どもは勝者である敵の手によって城壁から投げ落とされて殺されて、あらゆる希望は再び絶たれるんだよなあ。ははは。
とは言え、自分の悩みも苦しみもどんどん置き去りにして、どこへ向かっているのかはともかく走り続けているので、なんかもうこうやって語るそばから、絶望も苦しみも皆、周回遅れで過去のものになって行く。昨日の自分のことなんか、もう知らんよという心境を毎日更新しつづけている。
絶望には絶望しか勝てない。狂気には狂気しか勝てない。それを日々、実感している。
久しぶりに由布院のホテルに泊まった。いい天気で由布岳がきれいで、コロナのせいか人も少なく、のんびりできて、いい旅だった。ホテルの朝のベッドで垣谷美雨の「夫の墓には入りません」、途中の駐車場で休憩中に「うちの娘が結婚しないので」を一気に読み上げてしまった。快適で、面白かった。後者は娘さんの描写が、ぼやっとしててキャラが立っていない感じがしたが、終わってみると、それも効果的だったのかなと思ったりしたから恐ろしい(笑)。
コロナ騒動のおかげで、私の回りでも、いろんな催しが中止になってしまった。おかげで何だかほっとしている自分は疲れているのだなあと実感する。そう言えば昔から、人の集まる場所もイベントも好きじゃなかったと思い出す。ぼんやり一人でいるのと眠るのが一番好きだった。最近、その一つの眠るのがだめになっているのが痛い。多分、身体と心のどこかが静かに狂って行っているのだと思う。