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ベッドがやせた。

◇体調があいかわらずいまいちなので、今日は明日の授業の予習だけで、ゆっくりすごそうと思っています。
と、言いつつ、ずっと放っていたベッドの毛布や羽根布団をクリーニングに出すことにして、ベッドからはいで、薄いタオルケットに換えました。なんか、ベッドが薄っぺらくなって、その上に夏毛になってこれも薄っぺらいカツジ猫がいびきをかいて寝ているのは何だかなあ。

◇とは言いながら、やっぱり仕事はあるっちゃあある。昨日は実家の近くにいた母と同年配の共産党員の人が亡くなったと、知らせが来ました。キリスト教でのお葬式が明日、あるそうです。私は授業で帰れないので弔電を打たねば。
「わが家は、キリスト教で共産党で、昔から異端者なんですよ」みたいなことを言って呵呵大笑していた、若いころのその人の顔を思い出しています。

ゆうべ母に話したら、「本当によくうちに遊びに来ていたのにねえ」と言っていました。私の祖父がはちゃめちゃな人でしたから、家には右翼の大物から共産党員までいろんな人が入りびたっていて、その人もよくいろりばたで、祖父と政治論議に花を咲かせていました。
重い病気になってもう何年もたちますが、気力は大変あって、意気軒昂としていると風の便りに聞いていました。

戦争法案反対の運動が盛り上がりつつあるのを見て亡くなられたのならよかったかなと思いますが、もう何十年も前にやはり私の村の気骨ある老共産党員(家は代々続いた土地の名家で、東大に行って学生運動で特高に逮捕され拷問にあって身体は曲がり、家からは勘当されて、それでも死ぬまで共産党員として精力的に活動しておられました)が亡くなったとき、ちょうど共産党が選挙で躍進したときで、まだ若かった母は私に「日本の夜明けを見て死ねてよかったよねえ」と言っていたものですが、そのあとソ連の崩壊とかもあって、共産党は長いこと冬の時代を迎えることになります。

そういうのを見て来ますと、私なんかあれだなあ、世の中がよくなって、何がしかわが世の春みたいな時だと、「これからどう下り坂になるのやら」と思って死ぬのはつらいかもなあ。逆にある程度どん底に近い状態だと、「絶対にいつまでもこうじゃないやい」と確信しながら、案外気楽に死ねるかもしれん(笑)。

◇ところで昨今の若い人の抗議行動の盛り上がりを「共産党の一派だろう」みたいに言う書きこみもあって、だとしても別にいいやんと思っていたら、「こんな運動を共産党が組織できるなら、とっくに政権とれてる」「これが共産党のさしがねと思うのは共産党の過大評価だ」というような、がははと笑ってるような書きこみがあって、こっちも笑いました。
どっちみち、誰かも書いていたけど、今はもう、保守も革新も右翼も左翼も関係なく、現政権のあまりの非常識とふまじめさに対して抗議と否定を皆でつきつけようとしている状態で、今さらどこかが黒幕とか言われてもとても信じがたい状況でしょう。まあ、日本会議が政府の黒幕というのは、いろいろ考えても納得がいくけれど。

私はヘイトスピーチは許せませんが、最近いろいろ若者や主婦がそれなりに政治に関心を持ち勉強して右翼的な活動しているのは、それなりに何かしなければという気持ちでもあったはずで、そういう人の中には今まで政治にも社会にも無関心だった多くの若者が、いきなりデモとかしはじめてるのを見て、「自分たちはもっと早くからちゃんとやってたのに」と、わりきれない思いをしている人も少なくないと思う。
でも、そういう人たちも、考えてほしいのは、首相と政府の、あまりにも空疎な答弁と強引な行動です。
これは、意見のちがう者どうしが、日本や世界の未来について、真剣に話し合う上で、有益だと思えますか?

◇私は、忙しくて返事する間がないので、コメント欄はずっと閉じています。しかし、以前に開けていたとき、ちがう意見を持っているのかなという人のコメントがたまにあって、まあ、若干の差は微妙にあるのですが、いつもふしぎだったのは、異なる意見を示そうとしているなら絶対に必要な、「相手を説得したい、そのためにまず理解したい」という姿勢がまったく見えないことでした。

あいさつも、前置きもなく、突然、関係ないことを短く書きこむ。こちらが、それでも対応すると、それに対する返答はなく、また自分のひとり言をくりかえす。
これ、大丈夫か、人とのコミュニケーションとれてるのか、とこちらが心配になるほど、何だか背中をむけて、ぶつぶつ、つぶやいている気配。さらに正確な印象を言わせてもらうと、背を向けて、しゃがみこんで大便をしているような気配。人の家の門前でね。思わず、「これでお尻ふいて」と紙を渡したくなるような、奇妙さ。

中にはこっちを向いているような人もいますが、それでも何だか目がすわっていて、いきなり、「はさみはいりませんか」と刃先を前にしてつきつけて来るような風情。「おたくの庭の花を切ったり雑草を刈ったりするのに、役にたちます」ということなのかもしれないけれど、多分それでは、ものは売れない(笑)。

いや、自分のブログやツイートでつぶやく分にはまあそれもいい。しかし、他者や何がしか共有の場にいきなり来て、大便をしたりはさみをつきつけたりしても、とてもそれでは、「日本の美徳」とか「礼儀作法」とかを大事にすることとはつながらないんじゃないでしょうか。
このような人たちが、他国を批判したり、自国を愛しましょうと言ったりしても、なかなかそうですねとは言い難い。

まあそういうことも含めて、私はそういう人たちとも、大便やはさみ抜きで話し合うようになりたいと願っています。実際にはなかなかそんな時間はないので、口だけと恨まれたらしかたないですけど。

でも、くりかえしますが、そういう人たちは、今の首相や政府のやり方を認めて、支援して最後までついて行けるのですか? それは日本の過去や将来に関する意見のちがいとは、また別次元の問題ですよ。

◇おっとっと、こんなこと書いてる場合か。洗濯物を干しに行かねば。

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カツジ猫