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三毛猫シナモンのこと(続き)


このところ、私は仕事もあったし、昼はかなり出歩いていました。夜も新しい方の家で仕事をすることもありました。シナモンが死ぬ日も夕方から用事があって出かけなければならず、よそ行きの服を着て出かけようとして、ちょっとシナモンの様子を見てからと古い方の家に行きました。
彼女の姿は見えず、こたつをのぞくと奥の方で寝ているのが見えました。頭をもたげて、こちらを見たので、まだ生きてるなと思って、ちょっとパソコンの前に座って仕事をしていました。
すると、どこかで猫が大声で一二度鳴きました。シナモンはめったに鳴かない猫だったので、最初はどこかで他の猫が鳴いていると思いましたが、すぐに彼女だと気がついて行って見ると、彼女はこたつから出てきて廊下に倒れており、回りにおしっこの水たまりが出来ていました。それまで一度こたつぶとんにおしっこした後は、トイレもちゃんと使っていたので、かなり具合が悪いのだとわかりました。
 
外出着でしたがかまわず、ジャケットだけ脱いで放って、台所の床に座って彼女を膝に抱き上げました。苦しそうに何度かあえいで、私がシナモン、苦しいの、ごめんね、とくりかえしている間に次第に静かになって、小さく口を開けたままなので、水を飲ませてやりたかったのですが、水入れに手が届かず、彼女を抱いたまま床をすさって、やっと水に手をつけ、指で口につけてやりました。それからしばらく抱いていたのですが、結局、いつ死んだのかわかりません。椅子においてからお湯で身体を拭いてやりましたが、やせていても毛並みはつややかで、きれいでした。
キャラメルは私が抱いている間に、そのままの丸いかたちで固まって、しっぽだけが生きているときと同じにふさふさゆらゆらゆれたのですが、シナモンのきれいな長い先が筆のように細まったしっぽは、少し硬くなっているようで、きちんと身体にまきつけてやりました。
 
もう時間がなかったので、そのまま外出し用事をすませて深夜に帰りました。書斎も居間も彼女が淋しくないようにと灯りをつけっぱなしていたので、開けたままの書斎のドアの向こうの椅子に、いつものようにシナモンの三毛の毛色が見えました。それがどれだけ心安らぐ、なじんだ、いつもの光景かとあらためてわかって、とても、ほっとしました。もうすぐそれが永遠に見られなくなるのだということも忘れてしまうぐらい、ほっとしました。明るい電灯の下に浮かび上がっている三毛の毛皮の色は、それほどに、輝くように美しくて、力と光が、そこから放たれているようでした。思わず写真をとってしまったのですが、あのオーラが果たして画面に映るのでしょうか。(笑)
 
もしも私がいない時に一人で死んでも、彼女は私を責めないだろうし、そんなに淋しがらないだろうという気が、ずっと何となくしていました。彼女はそういう猫でした。私が彼女のために片づけ、きれいにした家の中で居心地よく満足して死ぬだろうと感じていました。初めて会った子猫のとき、グラジオラスの球根の箱の中で、きげんよく遊んでいたと同じように。
しかし彼女は、ちゃんと私がいる時に死に、しかも私が気づくように鳴いて私を呼んでくれました。私の腕の中で死んでくれました。何と強くて賢くて優しい猫かと脱帽するしかありません。
で、こんな時に何ですが、つい考えてしまうのは、カツジ猫はきっと、これとは正反対に、ありとあらゆる、へまなことして死ぬんだろうなあということですよ。
 
シナモンは今、私の古いお気に入りのセーターと、いつも買い物袋に使っていた古い布袋と、キャラメルが死んだときに着ていて捨てられずにとっていた赤いフリースのガウンにくるまれて、庭の一隅に眠っています。どれも古びて、いつかは処分しなくてはならないけれど、捨てるのはしのびなかったものばかりです。
もっとかわいがればよかった、もっといっしょにいてやればよかったという後悔は、限りがありません。でもシナモンの生き方も死に方もとても見事で、私のそんなつまらない感情で汚したくないという気もします。
 
ひとつの時代が確実に終わり、新しい時代が始まったと思います。まだ何となく疲れていて、それに対応できていませんが、ともかく、シナモンの主人として恥ずかしくない(笑)日々を続けて行かなければなりません。
 
うーむ、まだまだ書きたいこともあるのですが、今夜はこんなところで。

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カツジ猫