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不安がつのる。

◇今日は陽射しが暖かそうだったので、だまされて薄手の春のコートを着て行ったら、風が刺すように冷たくて風邪を引きそうでヤバかったです。
あ、外に出していた鉢植えを、引き上げておかないと。

◇「イスラム国」の人質事件、湯川さんの死亡は本当のようで残念です。後藤さんの救出も難航しているようですが政府もあらゆる努力をしてほしいし、国民もそれを支えてほしい。
湯川さんの死に対しても、ネットでは同情する声は少なかったように思います。その中で、お父さんが会見されて悲しみを語られたのは、勇気とともに、息子さんへの強い愛情を感じました。その一方で、このように肉親を引き出さなくても死者への追悼と尊敬が充分に払われる世の中であってほしいと願わずにはいられませんでした。

湯川さんほどではなくても後藤さんにも、自己責任だから放っておけという意見はまだよく見ますし、また実際にお二人はそれぞれに、自己責任という覚悟を決めて行動されていると思います。だからこそ最後まで生きる努力はやめないわけで、送られてくる画像で後藤さんが語ることばも決して本心ではないでしょう。そんなことはわかりすぎるほどあたりまえのことなのに、「言わされている可能性がある」などと、あんたは生まれてこのかた小説や映画やドラマの一つも見てないのかと言いたくなるような発言を、けっこうまじめに公式に言う人がいるのが本当に恐い。言わされてるに決まってるじゃないですか。人質になってる人の言うことなんて、かけらも信じちゃいけないでしょう。あーもう、こんなこと、わざわざ言うかね、恥ずかしい。

◇だからおそらく最悪の事態になっても、お二人は国も誰も恨まないでしょう。だからこそ、お二人を見捨てることは私たちには許されないのだと思います。
もっとも私は、今回の件での首相とその周辺の方々の最大の責任は、お二人の命を危険にさらしたことだけではないと思っています。ほとんど、「だけ」をとっぱらってもいいぐらいです。

昨日の毎日新聞で、イラク北部で取材を続けるフリージャーナリストの方の発言として、現地では「イスラム国」による殺害、拉致、性被害が珍しくなく、今回の事件は特別に話題になる状況ではないこと、このような被害を国際社会は放置していることも伝えています。そのことも、湯川さんや後藤さんはよく知っていたでしょう。

そのような状況を考えれば、自由意志で現地に行った二人の命は、それほど特別扱いするものでもないという印象も生まれるかもしれない。事実そうかもしれません。しかし、どうもあまり誰も気にしていないように見えてしかたがないのですが、今回の件で危機にさらされているのは、お二人の命だけではなく、日本という国とそこに住む私たちの命でもあるのではないですか。

◇九条はこんな時に役に立たない、という発言もときどき見ますが、私の知る限り、平和憲法を守ってきた日本の印象は、中東では悪いものではありませんでした。それが今回、フランスのテロ事件以後の、微妙で緊張した情勢の中、首相はあからさまにイスラエルに接近し支援を約束した。その方法のよしあしはもはや言ってもせんないことで、結果としては「イスラム国」に日本を標的にする口実を与えた。これがむしろ今回の問題で一番責任をとってほしい点でしょう。

はからずも、これは「集団的自衛権」が推し進められた場合にどうなるかを、シミュレーションのように教えてくれています。どこかの国の戦争に協力したとたん、思いもよらなかった別の国を敵に回し、日本本国の私たちの住む町までがテロやミサイル攻撃の対象になる。本当にわかりやすい予想図です。

そこをあまり誰も気にしていないようなのが、私はふしぎでしかたがない。誤解を恐れず言ってしまうと、お二人の命を救えとか救わなくていいとか、のんきなことを言っている場合じゃないだろうと思えてしまう。今回の件で危険にさらされてしまったのは、私たちの国土と命と財産ですよ。身代金払ったら今後誘拐や拉致が続いて邦人の生命が危ないとか言っている人も多いけれど、もうすでにものすごく危ない状況にいるんじゃないの私たちは。

◇考えていると、だんだんイライラして来るので、これから先の書き方は少々乱暴になりますが、すみません。
「九条がこの事態を何とかできるならやってみろよ」といった発言にも感じるのですが、本当に平和ボケというか危機管理能力がないというか、自分たちは何もしないで何も見ないで何も考えないで何も知らないで、ぼやっとしていたら、首相か政府か九条か自衛隊がいやな仕事は皆してくれるだろうから、その分、金を出すから投票するからあとよろしく頼むわみたいなムシのいい話が、そうそうあるわけないでしょうが。
自分たちもとっくに人質になってるようなものなのに、身代金出さず自己責任と言って見捨てておけば、当面自分に火の粉はふりかからないですむなんて、よくもまあ、そんなのどかな気分でいられるよなあ。

自己責任論者と改憲論者って、どのくらい一致してるのか私にはわかりませんが、もう、この間からつくづく思っているのは、首相も改憲論者も、ほんとに九条なくして戦争できる国にしたいんなら、せめて嘘でも湯川さんや後藤さんを必死で何があっても助けると断言し、日夜靖国神社に祈ってお百度踏んで水垢離してもお二人を助けると誓うべきなのじゃないかってことです。
そうやってありとあらゆる努力をして、それでも助けられなかったら、そこでこそ、「自衛隊を派遣することもできるようにして、あらゆる手段をとれるようにして、次回は絶対に救う!」とか言うことができるんでしょうに。
あ、そうか、そうやって必死にやって助けられちゃったらまずいのか。

◇たちのよくない冗談はさておくとして、私は自己責任論とか、救出に消極的な姿勢というのは、もしかしたらでなくても首相がめざしている、集団的自衛権の法整備とか、自衛隊の戦闘地域への派遣とか、平和憲法の放棄とかいう方向には、絶対につながらない、マイナスに働く方向だとしか思えないのです。
だってそうでしょ、あれやこれやと理由をつけて、海外で被害にあった日本人を皆「はい、自己責任です」と言って国も国民も犠牲を払わないでいいんだったら、少なくとも邦人救出のための自衛隊の海外派兵はよっぽどのことがない限りあり得ない。

少なくとも私は国際貢献にしろ邦人救出にしろ、その根底と出発点には、他者を救おう弱者を守ろうという積極的な熱い思いがなけりゃならないと思ってる。責任逃れの逃げ腰や自分さえよけりゃいいという怠惰や冷たさ

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カツジ猫