不死の薬
イラストなんぞにうつつを抜かしている間に、書きたい記事もたまりすぎ。もったいないけど、ほとんどもう、項目のみで失礼します。
おわびのお知らせ。少し前に行きつけの美容師さんから「ラインを設定してもらえると…」と遠慮がちに言われて、さっそくパソコン担当者に設定してもらったんですけど、実は私この使い方がほとんどわかってないのよねー。なので、さっそくご連絡いただいた方にも全然返事を出せていないし、この先とても怪しい。とりあえず、すみません。ヒマができたら何とかします。
テレビのワイドショーその他マスメディアでは、元首相の美化がほとんど幻想の世界にまで発展している模様。ツイッターにも紹介していますが、犯人の精神鑑定を行って責任能力のない異常者にして精神病院に送りこんで、裁判にかけない計画のようだとか。つまり裁判にかけたら、元首相と統一協会の関係とかその他もろもろのことが明るみに出るからですねー。
つじつまがあう話だけに、リアルで恐いわ。体制にとって都合の悪い人は皆精神異常にして病院送りにするのって、ソルジェニーツィンの作品でもおなじみの、スターリン時代のソ連の常套手段じゃないか。ほんとにまったくもう。
ここまで自分の過去や経歴を捏造しまくられる元首相を見ていると、とことんいらん心配だが、自分の死後もこうやって、きいた風に嘘八百の分析やら思い出やらを誰かが語るのだろうかと思って、うんざりする。私は人が自分より先に死ぬと、あーこれで私の弔辞をあいつが読むことだけはないわとささやかに慰められたりすることもあるのだが、そうそういつまでも生きていられるわけはなし、それでも、今回の元首相をめぐる茶番劇としかいいようのない政府や与党の対応を見ていると、唐突すぎるが、不死の薬がほしくなったりする。
そんな中、朝日新聞の川柳欄が痛快すぎて大笑い。朝日新聞自体は最近ヘタレで見る影もないと言われているが、まあ、この川柳はまともだ。
- 疑惑あった人が国葬そんな国
- 利用され迷惑してる「民主主義」
- 死してなお税金使う野辺送り
- 忖度(そんたく)はどこまで続く あの世まで
- 国葬って国がお仕舞(しま)いっていうことか
- 動機聞きゃテロじゃ無かったらしいです
- ああ怖いこうして歴史は作られる
ひょっともし、これで選者が変わったりしたら、朝日のトップにも統一教会が入ってると思うことにする。
それで元首相の支持者か統一教会か何かが、さっそくこの川柳を目の敵にして、いちゃもんをつけてるらしい。そのひとつに、「これが川柳か。季語がないじゃないか」と言ってるやつがいて、いつもながら、こういう無知や恥を世間にさらすのは、汚物陳列罪かわいせつ行為かなんかで処罰できないものなのかね。(川柳の特徴のひとつは季語が不要なことです。中学生で習うんじゃない?)
「しんぶん赤旗」の日曜版を見て、ああそうか、仁比聡平さんが比例で当選して国会に復帰したんだと嬉しくなった。一度何かの催しで、隣に座ったことがある。つつましく健全で誠実そうな方だった。
福岡の候補者で当選はしなかったけど間島省三さんも、最初の出馬のときは、まじめすぎるような演説で、これでは票はとれないかなあと失礼なことを思ったりしたのだが、二年目、三年目と町で聞く演説が、見違えるほど説得力があってわかりやすく、政治家ってこうやって成長するのかと感心したものだ。一度、何かの催しでされた講演も、中味がぎっちりつまって、しかもよく伝わる、とてもいい内容だった。
あんな人が落ちて、アンケートの返事さえよう書かないタレント出身の女性(タレントも女性も別に悪くはないけど)が議員になって、私の税金受けとってるのかと思うと、煮えくりかえるわ、金の点だけでも。
この前ひさびさに隣町のシネコンに立ち寄った。時間が合わなかったので何も見ないで帰ったが、早朝一回の上映だった「メタモルフォーゼの縁側」が終了していたのは残念。コミックがめちゃくちゃ好きだったので、ネットで映画化と配役を見たときには、何でもう、原作のぼさっとおたくの高校女子やとても普通の小柄なおばあさんを、あんなカワイコちゃんとカッコいい老女にしたてあげなきゃならんのかと、ほとんど吐き気がしたのだった。でもま、「風と共に去りぬ」でメラニー演じたオリビア・デ・ハビランドも、原作のイメージとまるでちがう、ごっつい感じだったので、あの楚々としたメラニーをみごとに演じていたから、まあ一度は見とくかなと思っていたのだ。予告編を見たら、そう悪くもなさそうだったし、ちょっと惜しいことをした。
最近読んだ小説の「百花」も映画化されて9月に上映されるそうだ。映画化されるのは文庫本で読んで知ってたが、実は原作を読んだとき、私はこの小説は認知症を美しく描いているとかそういうのはいいんだけど、親子の人間関係が、もうホラーとしか思えなかったのだよね。過去の出来事を精算もせず納得もせず、たがいをそれでしばって脅迫しつつ、美しい関係を維持して行くなんて、どこをどうしたら、そんな気味の悪い生き方ができるのか、正直一ミリもわからない。
ま、ま、ま、人から見ればうちの家族関係の方がホラーなのかもしれないんだし、一概には言えないんだろうけど、これを美しい話と思って涙するというのは、汚い腐ったかたまり(それはそれで小説としちゃ悪くないのよ、描くのは)の上に、こてこてとクリームを塗り上げてきれいにおいしく見せているだけのような気しかしない。
そうそう、皆さま、前に紹介したのと同様、こちらのハッシュタグもぜひごらん下さい。
「もう安倍友コメンテーターはいらない」というやつです。
庭のユリが次々咲いて、いっぱいに飾ると、もうひたすらに豪華です。自分ちの庭から調達した自分ちの部屋の花瓶で、こんなすばらしいものを見られるなんて、どういう贅沢なんだろうと思ってしまうぐらいです。ついついうれしくて、同じような画像を、しつこく並べるのをお許し下さい。目まいはあいかわらず、ぱっとしないんですけどねー、そんな中でも、起きたときに、この花がまず目に飛びこんで来るのは、やっぱり最高ですよ。