乱戦の中で。
◇「九条の会」の奥平康弘さんが亡くなった。「私のために戦うな」の本をお送りしたときに、一度お手紙をいただいたことがある。加藤周一さんも小田実さんも、すでに亡くなられたメンバー皆そうだったが、私は淋しいとか悲しいとかよりも、「ああ、最後まで自分の生き方を貫かれたのだなあ」とどこかでほっとし、お祝いを言いたくなる。
微力だけれど、あとに続こう。
◇人質事件、毎日新聞が連日、後藤さんのお人柄を紹介して「こんなに立派な人です」と訴えているのは、たしかに必要なのかもしれないが、これがあまり続くとどうなのかなあ。首相が自衛隊の人質救出とか今言うことかというようなことを言い出しているのも、いただけないが。
前にも書いたが、ことは後藤さんの運命だけでなく、もはや日本全国と私たちがテロの標的にさらされているのだということを、そろそろ考えておいてもいいんじゃないのか。
◇「イスラム国」のやり方にも、いろんな意味でイライラするが、なれないことをしてみようと思って、ちょっと日本の国防について考えてみようとした時、私なんかが一番正直心配になるのは、2ちゃんねるなどで後藤さんやその家族に対する、なんかもう支離滅裂のしょうもない悪口の嵐で、こういう人たちがどんなに一部にすぎないとか言ってもゴキブリを一匹見たら百匹いると思えと言う通り、やはり、こういうことを考えたり感じたりする人はそこそこいるのだろうと思うと、まったくいらん世話とは思うけど、こんなに不幸で怯えている国民のいっぱいいる国が、ちゃんと他国と対決していけるのかと暗澹とする。絶対に、強くて豊かで満ち足りている国の人間の、言うことすることとは思えない。
本当にいらん世話とは思うが、まあヘイトスピーチとか嫌韓本とかも含めて、何をそうカリカリと攻撃的にならずにはいられないのか、気になってしかたがない。誤解をおそれず(昨日も言ったな)また言うけど、人質を救うより先に、この膨大な絶望と憎悪と不安の中にいる人たちを何とか救わないと、そっちがよっぽど日本にとって急務だろうとさえ思う。
◇橋本治の「バカになったか日本人」を、ざっと読んだ。彼は3.11.の震災の少し前から、かなり体調を崩していたのだな。だから、この本も、この数年に書いたエッセイや短文をまとめたものだが、それがそれなりに日本の変化や現状を把握するひとつの流れとなっている。
最後の文章は、憲法について書いたもので、「憲法を変えるといったら、一番問題になるのは九条だろうと思っていたが、自民党の憲法草案を読んだら、そうじゃないとわかった」とはじまっている。
これは彼に限らないことかもしれない。自民党の草案は、九条よりもっと以前に普通に人権さえも認めない、とんでもない内容だと言ったり書いたりしている人は多いから。橋本治はそこで、「だから人権について考えることから始めないといけないが、今の日本人にその頭はないだろうから(すみません、私がむちゃくちゃ勝手にまとめてますから、ぜひ原文を読んでよね)、もうさしあたり、憲法については何も考えない方がいい。国民投票とかになったら『なぜ変えなきゃならないかわからない』と言って反対しておけば、それだけでいい」と、大変わかりやすい、多分的確なアドバイスをしています。そして最後に「私は、なぜ憲法を変えなければならないのか、わかりません」という一行でしめくくっている。
私は基本的に何があっても泣かない人間で、もちろん、これを読んでも泣かない。
それでもなぜか泣きたくなった。あのものすごくいろいろ考え、とめどなく豊かなことばの武器を持ち、私にはどのくらい賢いかもわからないぐらいきっと賢い橋本治が、こんなに煮詰めきった単純で愚かにさえ見える一行に、すべての考察や決断をこめて、すべての人に伝わるメッセージにとぎすまして、投げつけた、その選択にかけたエネルギーを思うと。
◇この恐ろしい乱戦の中、一歩も踏み誤れない恐怖と緊張の中、私も毎日、ことばをさがしつづけている。