二〇一六年四月の記憶。
◇ときどき自分がガンとか何かそういう、長引きそうな病気にかかっているのではないかと気になることがある。病院に行ったり様子を見たりしている内に、どうやらそうではないらしいということがわかってそれはそこで終わるのだが、この年になると、事故や事件で死なない限り、いつかはそういう病気にかかってそれを意識しながら毎日を過ごすことになるのだろうと思う。大好きな猫たちが治りそうもない病気になって、死んで行く前の日々もそうだった。それに慣れて、時に忘れて、それでもすぐに、毎朝いつも、もう何もなかった日の朝ではなくて、死や苦しみと顔をつき合わせて生きていたんだなあと思い出す。
それは身体の病気に限らず、倒産とか家庭の不和とか何かそういう、日常の心配の域を超えた、重要な気がかりなことを抱えて生きていても同じことかもしれない。子どものころや若いとき、私は人と争うのが病的なほど嫌いで、友人や隣人が自分を嫌っていると思うだけでも、身体のどこかにとげがささっているような痛みを感じた。動くたびにその痛みを思い出すように、何を考えても感じても、そのことがいっしょに思い出された。
私は空想好きな子だったが、現実に何かいやなことがあると、決して空想の世界に逃げこめなかった。家族や友人や社会や世界を平和に幸福にしておきたいと、昔も今も私は切望し、そのために力を尽くすが、それは常に私が心おきなく孤独な空想の世界にひたっていられるためである。
今の私は人とけんかするのが三度の飯より好きなぐらい好戦的な人間になり、嫌われても何とも思わないでむしろ刺激になっていいと喜ぶぐらい、面の皮が厚くなって、人間はどこでどう、ここまで変われるのかと自分でもときどき思う。しかし、それは何だかだ言っても、やはり私の周囲の人が私を大事にしてくれているからであり、それに気づきさえしないほど私は恵まれているのだろう。味方と同様、対立しても争っても基本的には信じられる敵に恵まれてきたことは、中でも最高の幸福だったかもしれない。意見や立場のちがいはあっても、それなりに相手を理解できる関係というのは、時には味方以上に好ましく、その点で私は恵まれていたと思う。
◇私が子どものころ、学校で今のようなかたちのいじめはなかった。だが、私はいつも、病的なほどにその事態を予測し恐れた。なぜそんなことを予感していたのかわからないが、自分に対しても他人に対しても、そういうことが起こる可能性をいつも感じていた。何の予兆もなかったのに、むしろ予兆がなかったからこそ。
今、いたるところで学校でそういうことが起こっていて、若い人たちのかなりの部分が直接間接にそれを体験しているということは、私には想像もつかないぐらい恐ろしい。というか、想像がつかないから恐ろしいのかもしれない。いじめが起こる状況も、当事者や周囲がそうなる心理も私は想像できないのだ。あれほど予感し、脅え、日夜対策を練っていたのに、現実に起こっているいじめの図式やありようが、私には異次元のファンタジーのように理解できない。なぜそうなるか、原因は何か、誰が、何が悪いのかも。
ただ漠然と、自分がそこにいたら標的になるだろうと感じる。そして、自分はそれに耐えられないだろうとわかる。だから私はそういうことを、どういう立場であれ、体験し見て来て、ちゃんと普通にでも普通でなくてもいいが、とにかく生きている若者たちのすべてに、漠然とした尊敬と敬意、畏怖と恐怖を常に感じている。それは、多分、戦争から帰って来た夫や父に対する気持ちのようなものかもしれない。
◇このごろ、毎朝起きて、顔を洗って新聞を読んで、コーヒーをいれてパンを焼き、猫にエサをやりながら、「ああ、日本は戦争のできる国になったんだ」と思う。「海外で人を殺せる国になっているんだ」と思う。自分や猫の、死に至る病にかかっている身体を思い出すように。自分を憎悪している人、攻撃しようとしている周囲の存在を思い出すように。
それが、あんなバカな集団(政府と首相)のアホらしすぎる手続きでなされたこと、できた法律もガタガタのヌケヌケの欠陥商品で到底使用に耐えられないこと、そんなこととはとりあえず関係なく、とにかくそういう法律ができて、自分はその統制下にあるという、この事実。
何が悪かったのだろう。不治の病にかかった人が自分の生活習慣をかえりみるように、私はしばしば考えている。本当に、田舎の家の暗い二階の自分の部屋の小さい本箱の前で本を読んでいた、幼いころの自分からずっとふりかえって、何がいけなかったのだろう、何が足りなかったのだろう、何が私をこの法律に支配される今のここに導いてしまったのだろうと、ずっと考えつづけてしまう。
できることは、それなりに、いつもしてきた。考えることも、語ることもやめなかった。それでも結果は厳然としてここにある。私は日本を戦争のできる国にした。
◇とりかえしのつかないことなど、世の中にないとは知っている。年齢的に考えて自分に残された時間はもうそれほど長くはないことも、くよくよしているひまなどないことも、よくわかっている。
だが、3月の末から、じわじわ自分にしみいり始めた、この絶望と、この恐怖。まずはこれを、とことんかみしめ、味わうことからしか、今後の私の歩みはきっとない。