人の不幸につけこんで
しっかしもう、安倍晋三がたまーに登場したと思ったら、ウクライナ情勢に関して「日本も核兵器の共有を」とか、他国や他者の不幸につけこんで、何をまあくだらん世迷い言を言ってるの。うんざりするったら、ありゃしない。私が自民党でも保守派でも、うんざりするんじゃなかろうか。他に言うことも考えることも、何かありそうなものだけど。
ツイッターでも紹介したけど、「ぬえ」さんという方の、このおことば通り。
スイスも動いたロシアの資産凍結、経済制裁。各国が動いているのは冷戦よりも更に後ろに時代を逆行させてなるものかという世界の強い意志表示であり、こんな時に「核共有の議論を」とか如何に的外れな提案かと思いますね。どう考えてもそっちじゃないわ。
ところで、わが家の梅もそれなりに満開っぽくなりました。
ご近所の家々の梅の見事さには比べるべくもありませんが、このけちな咲き方もそれはそれで私はけっこう好きだったりする。何より、わが家の梅だもん(笑)。
昨日の河原で人を焼く話ですが、行きつけのお店で話したら、昔は火葬場もそんなになかったし、戦後だったらそういうこともあったのではないか、自分も家族から聞いた気がする、みたいなことを教えてもらいました。
でも、バナナのことは覚えてる私が、そんな強烈な場面を見たら、何か記憶がありそうなものだけど、どうなんだろう、わからないなあ。やっぱり実際には目にしていないのかもしれない。でもどうなのかな、自分の記憶が何を選別してるのかなんて、もう自信がないわ。
その河原が写っている、例によって、昔の荷物の中から出てきた古い古い写真です。多分、私と従姉で、後ろを向いちゃってるのが私かな。
その近くの橋の上で、私と母と叔母。あまりに小さい写真なので、プリントしてやっと顔がわかりました(笑)。