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今になってわかること

体調はずっといまいちで、ぱっとしないのだけど、買い物や仕事に出かけると何だかしゃんとして元気になって、平気で歩き回ってがんばってしまう。昨日も暗くなってから、買い物袋を両手に下げて、車を降りて、玄関に行く途中、ひょっと、北海道や東北だったら、こんなときに、そのへんの暗闇からクマが現れたりするのかしらと思って、急にリアルにぞっとした。車にかけ戻ってとじこもるとしても、そううまく行くものだろうかと思ったりして生きた心地がしなくて、現地の人たちの身につまされた。だいたい、プールの清掃をしていた人が、眼鏡と血のあとだけを残して消えただの、市役所の二百メートルかそこらの近くで、四五人が襲われて死者が出るなど、まともじゃない普通じゃない状況だ。早急に何とかしなくちゃと、心から思ってしまう。

ところでだいぶ前の話だが、二ヶ月前に死んだ猫のカツジの写真は山ほどあるが、声が残っていなくて嘆いていた私だが(その後、動画が手に入って、声はめでたく聞けるようになった)、そのとき、とうの昔に忘れていた、古い映画のことを思い出した。多分、大学時代か大学院生時代に一人で見たのだったと思う。イタリア映画で、いかにもそれらしい、ベタに泣かせる映画だったが、潔いほど、それに徹していて、清々しいほどよくできていた。私は今も昔もめったに泣く方じゃないが、この映画は自分でもバカかと思うほど泣かされた。

「天使の詩」というタイトルで、似た題名のが他にもあるが、何とかネットで見つかった。二人の幼い息子を残して母親が死に、父親は弟の方が心配なあまり、一見しっかりしている兄の方をつい気にしないでしまう。実際には弟よりも兄の方が深く悲しんで母を忘れられないでいて、(以下ネタばれ)ある日父の部屋で、テープレコーダーに残っていた母の声を聞いてしまう。それを深い慰めにして、時々こっそり聞いていたのだが…という話で、最後はそれこそベタに悲しい。

もう、ありふれた展開と言えばそうなんだけど、母の声を夢中になってなつかしむ、その心境が、切なすぎてリアルすぎた。ずっと忘れていたのだが、カツジの鳴き声を聞きたいと願った数日、その古い映画が、鮮やかによみがえって、甘い悲しみが痛みとともに奇妙に快かった。

あらすじは、こちら

 

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カツジ猫