何だと。
◇講座のノートは作らなきゃならず、論文の校正刷りは届く、あいかわらず国文関係の資料は見るのもイヤで吐き気がする拒絶症状は治らない、とまあなかなかに困った状況が続いている(笑)。しかたないからさしあたり家の片づけでもするとするか。今のところまあまあきれいになりかけているが、まだまだまったく油断はできない。
◇映画「ふしぎな岬の物語」がモントリオールの映画祭で二つの賞を受賞したらしい。映画を見てなくてこんなこと言うのは悪いが、原作の「虹の岬の喫茶店」は、私が最近読んだ小説の中で珍しくも大嫌いな話だったので、映画化されると聞いた時から、おやおやと思っていたのだが、まさか賞まで取るとはね。しばらくまたこの話題で世間はかまびすしく、観客もさぞ増えるのだろう。
あらためてあの話の何がいったい嫌いだったかを考えてみた。案外あれだけ読んだなら、まあどうってこともなく読み飛ばして忘れたかもしれない。いやまあそれでも、やっぱり嫌いだったかもしれないが。
ただ、あの小説を読む直前に、たまたまあの手の、安らぎの場所みたいなお店の癒し系の話をいくつか読んで、じわじわ背筋がぞげぞげしはじめてて、あれのすぐ前に読んだ「神様のカルテ」でもういいかげんイヤになってて、それでもそこまではまあやりすごしたのだが、「虹の岬の喫茶店」で、もう、限界点超えて、それまでのイライラムシャクシャがいっぺんにどーんと爆発したってことも、たしかにある。
何でもう皆適当に時代に合わせていい人で、読む人を不快にしそうな要素はちっとも出さないで、ほんわかほんわか誰も傷つけない、私に言わせりゃ気持ちの悪い小説書くかねえ。小説や文章なんて、人をイラつかせて何ぼのもんじゃと思うんですが、基本的に私は。
そもそも人間そのものも。
いらつかされて、不愉快で、けったくそ悪くて、でもそれを上回る魅力や美点や優れたとこがあるから、しゃあねえなとおたがいを許し合う、我慢しあう、そこが面白いし楽しいんじゃない。自分に都合のいい快適な人間がほしいならダッチワイフでも抱いとけや。
ちなみに、「セックス・アンド・ザ・シティ」のスミス君や「部長女子」の紘君は、よく読むと(よく読まんでも)決して都合のいい相手でも快適な相手でもないぞ。「非現実的な女の理想」とか言われがちだが、そこはちゃんと、欠点も弱点も腹立つとこも描かれている。
◇しかし吉永小百合なあ。おかげで気がついたんですが、私が「虹の岬」に感じた気味の悪さやいかがわしさやもどかしさって、彼女に対して感じるものによく似てるんですよ。
好みはとにかく、私は松たか子や大竹しのぶはまちがいなくうまいと思うし、うまいか下手かわからなくても山口百恵は大好きでした。
吉永小百合はその点もう何も感じないし、やってることや出ている映画は、戦争反対や平和を守るや、それこそ私の考えや目的と完璧なぐらい一致するのに、映画や演技や人柄に魅力を感じたことが昔からもう、いっぺんもないというのは、同じようにやること言うことはすべて賛成なのに、小説はどれもちっとも好きじゃなかった井上ひさしの場合に匹敵する。
自分自身もどこまで今の考え方や生き方をつらぬけるかはわからないですけど、私は彼女が戦争反対やその他の姿勢をはっきりと見せてくれている限り、ああ、ヘイトスピーチや嫌韓や週刊誌の下品な記事がいくら横行しようとも、安部内閣が無茶苦茶をして、ろくでもないメンバーをこれでもかと揃えた編成で、それをまたテレビがお祭り騒ぎで安っぽいショーみたいに報道しようとも、まだこの国の多数派は平和を愛して戦争反対で原発再稼働にも消極的なんだろうな、と実にねじくれた、変な安心のしかたをしています。
もしも、それが本当に少数派になったら吉永小百合はそんなものに参加はしないんじゃないかな、と思うから。
いやー、ほんとに失礼なこと言ってますね。でもどうしても彼女は、その時々の一番無難な優等生路線を歩むんじゃないかという気がしてしかたがない。誤解かもしれないし、そうだったらうれしいのですが。
◇いやそれで「虹の岬の喫茶店」に話を戻すと、私がもう、うんざりしまくった理由のひとつは、これこそただもう個人的で、疲れてどっかに行ったら、ちょっと淋しげで優しそうなヒマなババアがいて、おいしいコーヒーを出してくれて話し相手をしてくれて就職先を世話してくれて、いたわって安らがせて疑似家族の一員にしてくれるという、あの小説の描く夢が、そもそも寒気がするほどイヤだったんですよ。
私の家や私自身が、それに近い役割を期待されたことが何度かあったし、本当にてめえら、一人暮らしの年寄りの生活は、いつでも自分と都合よく重ね合わせてドッキングして勝手な夢を見るのに使えると思ってるのか、ほんとにもう家ごと環境ごと、私の存在を自分のオナペットにしてるだろうがということが、冗談でなく多々あったのよねこれまでに。
具体的に言うのも胸糞悪いから省くけど、とにかく私の回りには過去がそのまま残ってて、いつでも迎えてもらえるとか、自分にこれまで存在しなかった思いがけない新しい夢が実現できるんではないかとか。私と私の暮らしとは明治村かディズニーランドかい。そんな場所、いまどき商業施設以外にどこにある。自らは故郷放って過去も捨てて、そのくせ危険を冒した挑戦もしないでおいて、他人がすべてを守ってひきずって血みどろの戦いをして命からがら息たえだえに何とか維持してる世界に、ぬめっと寄生しようとする。しかも自分が今持っている世界は何ひとつ手放そうともしないまま。
これ読んで、自分のことか?とぎょっとしてる方、どうか安心して下さい。
そんな人、あなた一人じゃありませんから(笑)。いっぱいいると思いますから。
いやだからですね、私としては、岬の喫茶店に住むかわいい上品なばあさんが、ことばたくみに客をだまして身ぐるみはぐとか、時には毒入りコーヒー飲ませて岬の端から突き落として知らん顔してるとか、そういう話だったらきっともっとずっと楽しめたと思うのよね。
それに、もうよく覚えていないけど、あのばあさんが、変にカマトトで弱々しくてかわいぶるのも、個人的にはものすごくいやらしくって嫌いだったわ。強けりゃいいってもんじゃないけど、なんかもう、すべてが「ねらってる」感じがして。
ま、「アナと雪の女王」や「阪急電車」が大嫌いだった私の言うことですから、そのおつもりでお読み下さい。
◇それで思い出したけど、何となく予想がついたから「ジェノサイド」のネットでの感想、自分のを書く前には読まない