何よりも憂鬱なのは
じゅうばこさん キャラママさん
貴重な御意見色々と有難う御座います。この数日仕事で家を空ける事も多く母と話す間も無い状態ですが、取り敢えず何事も無く日は過ぎて居ます。これで済むとは思って居ませんけれど。
じゅうばこさんが誰か係の人と相談したらと仰有るのはケアマネージャーの事ですね。良い人でこれまでも様々な相談に乗って下さって居たのですが、今回の事はむしろ母と私の気持の方に問題が有ると思ってそちらを先に何とかして置きたかったのです。
以前はまだ母も私が仕事をして居ても我慢してくれて居た様な気がします。しかしこの何ヶ月かは仕事どころか私が家の片付け等家事をして居てさえ不満がります。ですから私も何をして居ても少しでも早く母の所に戻らないといけないと気が焦ってしまいます。
恐らく母は食事より掃除より私が側に居て話し相手をしてくれれば良いのでしょう。その結果部屋がどんなに汚れても食事が如何に不味くても気にはしないと思います。母の幸福だけを考えたらむしろそうやって二人でごみと悪臭の中で死ぬのが正しいのかも知れませんね。ですがそれでは結局他人の出入りも無くなり二人で滅びるしか無くなり、私も仕事が出来なくなって経済的にも行き詰まりますから、やはり人としての暮らしは最低確保しなくてはならない。
インターネットは私も少し調べて見ました。概ねじゅうばこさんのお話の通りです。ですが、「家族がテレビを見てお茶を飲んで居る足元で雑巾がけをして居る」と不満を漏らされて居るヘルパーさんは居ました。そういう発想が矢張りあるのですね。また、そのようにヘルパーさんに感じさせる様な仕事のさせ方をする家族も実際に多いのでしょう。
私は食事でも自分の分まで作って貰おうとは夢にも思って居りませんし(作って頂いたとしても食べる時間はないでしょう。母と一緒に食べる時間が有るのなら母と自分の分を作るのも同じです)、掃除は介護保険以外の方に御願いして居ます。その方にも母の生活する部分しか御願いはして居ません。実はそれも家計を圧迫して居るのですが。
ですからなるべくヘルパーさんに御仕事は頼まないで居ようと努力して居る積もりです。でも、ヘルパーさんが掃除をして居る時に実際にやったことはないですけれど、まさに「母と一緒にテレビを見てお茶を飲む」のも、同居家族としては重要な仕事なのです。したかろうと、したくなかろうと、しなければならない労働なのです、むしろ、それは。
母と話をする事が多いせいもあって、この様な事を書いて居ると限りもなく憂鬱になりますのは、この様な話はきっと読み違える方が多いのでしょうね。もうこれを読んだ半数以上の方が私はヘルパーさんに足元で掃除させて母と談笑して居る、と読み違えられて、もしかしたら抗議さえして来られるかも知れません。こんな事はキャラママさんの方がお詳しいのでしょうが、余りにも簡単なただの事実をきちんと読めずに間違える方が、特にこうした内容では多い様な気がします。とりわけネットでは横向きに読むからか斜め読みするのが普通だからか、御自分の好きな様に読み間違える方が大変多い様に思います。
兎も角、こうした事のすべてに私はもう疲れました。まだ鬱病になって居ないのであれば、自衛のためにも母を含めたすべての人を踏みにじって生きるしか無いと考えて居ります。
庭の塀にはみつまたの木が庭師さんの言った通り星の様に黄色の美しい花をつけて居ます。この庭も家も自分が晩年母と暮らして仕事をする場所として貯金もすべて使って数年かけて築き上げた日々を思って居ます。その全てを今になって放棄しなくてはならないのが、何やら夢のような思いです。