使い物にならない
カツジ猫も書いていますが、昨日は北九州市立美術館に横山大観展を見に行って来ました。何となく月末までと思っていましたので、大あわてでかけつけました。同じような人が多かったようで、昼前に着きましたが、駐車場もレストランもかなり混んでいましたが、会場自体はまあまあで、楽しく絵から絵へとさまよって来ました。
私は横山大観にそんなに詳しいわけではなく、ちゃんと絵を見たこともありません。でも、前に九博で見た芦雪とはまたちがって、もっとシャープでクールで明るかったけど、同じように、時代を超えて、今でもちっとも古くない洒落っ気と新鮮さがあって、またしても、いろんな絵の前で、息をのんだり笑いをこらえたりしてしまいました。
この人、波とか山とか、道とか滝とか、壮大で雄大なものを描いても、エネルギーがあふれて画面全体がうねってこっちに押し寄せてくるようで、それこそ抱かれたような快感があるんですけど、なぜか必ず手前やすみっこに、ちっさい鳥だの虫だの人だの生き物などを、ちょこちょこっと描き込むんですよね。それがまた、かわいくて動きが増して、空気や風が見えてくるようで、画面がさざなみみたいに波打つんですよ。もう素敵。
入って一番最初にひきつけられたのは、中国の哲学者と文学者が三人で笑ってる「虎渓三笑」の図。ひきこもって修行してて、庵の前の溪にかかった橋は絶対渡らないことにしていた哲学者が、友人の文学者二人が遊びに来て、おしゃべりして、帰りを送って行く時に話につい夢中になって、気づいたら三人で橋を渡ってしまっていて、いっしょに大笑いしたとかいう故事で、その題材や設定もいいじゃないすか、ねえ。ひきこもりや不登校の友だちのとこに遊びに行った同級生みたいで(ちがうか)。
同じ題材はよく取り上げられて、芦雪も描いてました。でも、芦雪のもよかったけど、その三人は浮世離れして、どっか怪物っぽくて、そこがまたよかったんだけど、大観の描いた三人はまるでちがって、皆どこか線が細くて女顔で、なまめかしくてかわいいのです。すんなり背が高くて気品もあるけど、いかにも優雅。いいなあ、としばらく見とれました。
私が遅くまで行かなかったのは、グッズが売れてしまっていた方が散財をしなくてすむと思っていたからなんですが、何とまあ図録まで売れてしまっていて、虎渓三笑なんてもちろんハガキにもファイルにもなってないし、ネットで検索しても画像も出ないし、そればっかりはほんとに残念。目に焼きつけておくしかないのね。
著名な大作の数々よりは、多分そんなに有名じゃない作品のいろいろが、とても好きで、うちの猫のカツジにそっくりのミミズクの絵葉書をはじめ、結局かなりまたお金を使ってしまった。もーいいや。どの絵も本当に素敵で、ハガキにしてもそんなに雰囲気こわれてないし。
美術館の階段の踊り場に、ぶっとんだ大きなライオンがいて、思わず写真をとりまくってたら、他のお客さんもつられたのか、撮影していました。これは実物の方が迫力ありますから、お近くの方はぜひ見に行ってやって下さい。
あ、まったくの横道の無駄話ですが、ライオンならぬ西武ライオンズは、昨日またホークスにまさかのような最終回の逆転サヨナラで負けてしまって、それももう、いろいろとあんまりな展開で、ファンはどうしているのかつい気になって、スレッドをのぞいてみたら、誰かが「獅子が粉塵にされてる」と書いてて(本来は「獅子奮迅」で、ものすごく強くてがんばること)、不覚にも爆笑してしまいました。怒って監督やホークスにやつあたりしているファンもいますけど、日ハムや西武は、ときどきこういうとぼけた書き込みをするファン(じゃないのかな)がいるからいいなあ。この前、ホークスの周東選手にホームラン打たれて負けたとき、「長打を打たせれば盗塁はできないという周東の弱点を発見したぞ」とか書いてたのも、このスレッドじゃなかったかなちがったかな。
プロスポーツ続きで言うと、大相撲の新人の大の里は、若手のCEOみたいな近代的な落ち着きがあると前に書いたが、昨日あたりのインタビューを見ていると、何だかそれこそ、ちょっと怪物っぽい不気味さも漂ってきていて、末恐ろしいよ。
そして、野球にしろ相撲にしろ、こういう若手の人を見ていると、いつかこの人たちがメジャーに行ったり監督やコーチになったり横綱や親方になったりして、歴史を塗り替えて行くとして、でももうそろそろ私はそれを見られない年齢に来ているぞと思う。この人たちが四十や五十になるころは、私はどうあがいても百を超えてるんだもん。そう思うと残念というよりも、ちょっとどこか愉快な気もする。
何だかもう、毎日庭の花を切っては飾るのに疲れて、昨日はまた花屋さんで、育ちのよさそうな(笑)きれいなバラを買ってきた。
でも、今朝はまた、奥庭で散りかけのバラを剪定ついでに切り取ってカップやびんに入れてしまった。荒々しいけど、それなりにきれいだ。
上川外相が「子どもを産まないと女性じゃない」みたいな発言をして、問題になっている。私は完全に個人的な好みだが、以前にこの人が麻生さんから容貌のことで失礼な発言をされたときの対応で、何から何まで、まるで使えん、一番いやなタイプだと思ったから、何を言おうとしようと今さら驚かない。ただ、ネットで、ものすごい勢いで「切り取りだ、言葉狩りだ」と、彼女を擁護する人たちの反論の嵐が吹き荒れたのはちょっと意外だった。ははあ、この人はそれだけ自民党の今のホープで、傷がついたら困るのかなと思ったりした。
切り取りも言葉狩りも、この人はその前後に「産みの苦しみ」についても、それこそ地球三周回分ぐらい遅れてる発言をとくとくとしてるのだから、その流れの上でしか、とりようがないじゃないか。野田聖子議員もそうだったが、おそらく自民党内では、こういうセンスで姿勢でないと生きていけないんだろうし、そういう空気を日夜吸ってると、肺も頭も汚染されて、人権感覚とか以前に危機管理感覚もないのだなと痛感する。そして、何よりまた、今回も本人はしーんと黙ってやりすごそうとしているのが、いかにも岸田首相の焼き直しっぽい。くり返すが、まったく使い物にならない人だよ。目上にしても目下にしても仲間にしても友人にしても。