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六年生の夏・補

ずっとブログで連載してきた、私が六年生の時の夏休みの日記は、連載開始の日と合わせて7月30日からスタートしている。しかし実際には、日記はその数日前から始まっている。せっかくだから、その7月24日から29日までの分をまとめて一挙に紹介しておこう。

7月24日 木曜 天候◯ 温度33° 起床五時五十分 就床十一時四十五分

いい気持で昼ねしてたら、母から、おこされた。私は、ねぼけていたので、ものさしは何センチかと聞いて笑われた。起きて見たら、高築すみちゃんがいる。夏休みになったので帰って来たのだそうだ。さくらいさんと高築育ちゃんも来ていた。三人で遊んだが、すみちゃんが、すごくおしとやかになってるので話が出来ない。のどまで言葉が出て来ると、こんな事は言わない方がいいと思ってやめてしまう。「ずいぶんおとなしくなったね」と言ったら、ニヤニヤ笑っている。「返事ぐらいしたら」と言ったら、やっぱりニヤニヤしている。少々気味が悪かった。よその学校は皆、あんな風にニヤニヤするのが流行なのかと思った。それからも、さんざんしゃべったが、口がくたびれたのでだまってしまった、やがて、すみちゃんは育子さんと一しょに帰って行った。しかし、よくあれだけだまっていられたものだ。私には、到底、真似が出来ない。

高築さんは、転校していった友だちで、育子さんは妹。彼女の変化の理由はわからないままだ。何だったんだろうなあ。

7月25日 金曜 天候◎ 温度27° 起床6時0分 就床10時5分

台所へ水を飲みに行くと、子ねこが一ぴき、チョコチョコ歩き回っている。どうしたかと聞いたら、家のねこが生んだんだそうだ。それが親ねこが二ひきいるもんだから、どっちが生んだかがわからないそうだ。私がテーブルの下に首をつっこんだら、フーハーフーハーと怒りながら子ねこがもう二ひき出て来た。私が三びきをだいていると、おじいちゃんが来て、早く川に流さにゃと言って箱を探しはじめた。その時、かん者さんが来たので、おじいちゃんは行ってしまった。あの調子じゃ、十分と立たぬうちに忘れちまうに決まってる。第一、川に捨てるったって、それは水があった時の話だ。今は、水ききんで、川はひからびてしまってる。水のない川に、子ねこをおぼれさせるなんて、手品師でなくっちゃ出来る芸当じゃない。まずまず、あの子ねこも無事育つだろう。まさかねこの食費で破産するようなこともあるまい。

この子猫がどうなったのかはわからない。私もあまり興味がなかったようで、当時のペットの扱いはだいたいが、このように皆クールだった。子猫を川に流して殺処分にするのも普通に行われていた。特に祖父(村医者で小さな医院を経営していた)は小鳥をたくさん飼っていたこともあって、猫は嫌っていた。のちに「マダム」と名づけられた白の多い三毛猫とは、なぜかでれでれに仲が良かったのだけれど。たった一匹、祖父を魅了した、ふっくらきれいで勇敢で聡明な牝猫「マダム」のことは、「雨の夜のある町から」というエッセイにも終わりのほうに、かなり重要な存在として登場している。

7月26日 土曜 天候◎ 温度27° 起床 五時四十五分 就床十時十分

ラジオ体操に行くと、六年二組のものは何か元気がよい。聞く所によると先生が和間の海岸に海水浴に連れていくという事だ。家に帰って、こんな天気に泳いでかぜを引かなけりゃもうけものだと思いながら灰色の空をながめていると、せみとりに来た男の子がおいなり様に、かぶと虫を取りに行こうと言うので、そりゃ面白かろうと、さっそく出かけた。出かけたのはいいが、かぶと虫のかの字も見つからない。がっかりして帰って来ると、安本さんが来ていた。やっぱり海水浴はとりやめになったらしい。「母ちゃんがせっかく作ってくれたんに、今さら、『海水浴が日のべになった。』なんて言ってから怒られる。」と言うわけで、私は安本さんの弁当を半分以上ごちそうになった。それでも安本さんは、もっと食べろ、もっと食べろと勧め、もう弁当がなくなっても、まだもっと食べろ、もっと食べろと言っていた。

お稲荷様は、わが家の隣りと言ってもいい近くにあった、小さな小さな神社というより、ほこら。何本か大きな木があって、まあ、かぶと虫もいたかもしれない。
 安本さんが言っている「…なんて言ってから」とは、一種の方言で、正確には「…なんち言うてから」で、「…などと言ったなら」という意味になる。

7月27日 日曜 天候◎ 気温26° 起床六時 就床十二時五分

昼から安本さんが来た。口では勉強に来たと、言ってたが、実際は計算問題を二、三題しただけで、さっさと勉強道具をかたづけてしまった。それから二人でくだらないおしゃべりをしている所へやって来たのはつるさんである。「へえ、あんた、球(ママ)算の試験に行ったんじゃなかったん?。」と私が聞くと、11時頃に帰ったと言った。問題はむつかしかったかと聞いたら、「うん、まあ―そりゃ少しは―まあその、ちょっとはむつかしかったけど。」と、どっちともつかない返事だった。私が「つるさんは、頭もいいし、もう決まってますよ、見事一番で…。」と言いかけるとつるさんは「わあ、ちがう、ちがう、すかん、あ、きらいじゃあ。」と、けんそんするから、「…ねえ、落第ですよ。」と言ったらつるさん、目を丸くして、「わあ。」と、私をにらんでいる。安本さんは、たたみの上をころげ回ってギャアギャア笑っていた。

つるさんも家が近くで、よく遊んだ友だち。どうしているのかしら。

7月28日 月曜 天候◎ 温度27° 起床六時 就床十時八分

スケッチ大会があるので宇佐まで出かけた。ちょっと、よさそうな場所があったのでそこをスケッチしていた。が、十分と立たぬ内に、まずい所に来たと思った。やぶかが手といわず顔と言わず、チクチクさすもんだから、絵を書く段じゃない、かをたたく方がよっぽどいそがしい。しかたがないから、だんだん後に下って行くと、やっとかがいなくなった。ホッとして今度こそ絵を書き始め、12時半頃、書き上げる事が出来た。そこへ、つるさんと安本さんが来た。つるさんが、もう何が何やらわからないような絵になったと言うから、そんなら見せてくれと言ったら、外の人に見せないように、かくれて見せた。なかなかうまいじゃないかとひひょうすると、「そんならこれ、何かわかる。」と指でおさえて見せた。「あら、もちろん木でしょう。かしかくすの木ね。」と言ったら「これ、草なんよ。やっぱり、へたやから、わからんなあ。」と失望する。なるほどそう言われて見れば、たしかに草である。「あ、ほんと、こりゃどう見たって草やねえ。」と私が言ったので二人とも笑い出した。解散してから、私たちは食堂に入って氷を一ぱい注文した。と、その時、安部安元先生が入って来られた。私たちが声をかけると先生も木がついて、こっちにいらっしゃった。先生はちっとも変わっていなかった。やっぱりあの茶色のくつをはいて、胸のポケットをすかしてしんせい(たばこ)が見えていた。それから、汽車の駅にいたおじさんを、どこかで見たと思ってたら外でもない松久先生だった。同じ駅で吉武先生にも会った。色々な人に会うもんだと思った。汽車もバスも一時間以上待たなければならないので、私たちは歩いて帰った。私の足は、主人の許可も得ずに四つもまめを作っていた。帰りついた時にはもうクタクタだった。

宇佐からわが家までは相当の距離がある。小学生がよくも歩いたものだ。

7月29日 火曜 天候◯ 温度27° 起床六時 就床十時五分

風鈴がチリンチリンと鳴っている。きつきから帰った松本ひろ子さんのおみやげだ。せとものでお城をかたどってある。これは大阪城ねと言ったら、いや、きつきのお城よと言った。どっちにしたって大したちがいじゃない。そこへ、玄関ががらがらと開いてよう子ちゃんと大きな声がする。安元さんである。部屋へ入って来てわあ、ひろ子ちゃんかと大声を出した。安本さんも風鈴をもらって喜んだ。
それから三人で遊んだが、安本さんと松本さんはゴム人形のとり合いっこで、けんかばかりしている。あげくのはてに二人とも庭へ飛び出して行ったが、五分と立たない内に安本さんは両手をしばられて戻って来た。そこへ、松本さんが来て、私をしばろうとしたので、私はとっくみあいの末松本さんを柱にしばりつけて、一人でのうのうと本を読んだ。が松本さんは、どうかしてすぐひもをといてしまうので、何にもならなかった。

 

この日記に登場する私の友だちの中で、今、生存を確認しているのは松本さんだけ(笑)。それもしばらく会っていない。何だか荒っぽい遊び方をしているなあ。まるっきり記憶にはないけれど。

杵築城はこれですね。風鈴は今でも売っているんだろうか。

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カツジ猫