六年生の夏(15)
8月14日 木曜 天候◎ 起床7時40分 就寝11時30分
図画 形をとる
手紙 阿部先生 川谷先生
お盆で、とこやが、どこも休みなので、かわりに伊佐子ちゃんが、私のかみをかってくれる事になった。私も色々考えたが、さんぱつ料50円がいらないから、結局、その方がいいだろうと言うことになった。伊佐子ちゃんはさいほうばさみで私のかみの毛をかり出した。私は命のちぢむ思いだったけど、二十分ばかりで、伊佐子ちゃんははさみを置いて、どうにかすんだよと言った。ヒヤヒヤしながら、かがみをのぞいたら、そうまでおかしくもなってなかったのでホッとした。その時、おばが来て、ちょっと前の方がゆがんでるとか何とか言って、又、半時間ぐらいかかって、まっすぐなおした。それから、後をそってくれた。かみそりがちっとも切れなくって、ザリザリ音を立てるのでいやになった。やっとすんだので、又、かがみを見たら前より、ずっとよくなってたので、うれしくなった。まだ前がすこうし、ゆがんでいるようだったが、そんなの、気にかける必要なんてない。
正直、この大昔(六十五年ほど前?)の自分の日記をこうやって見直していて、一番の収穫は、習字をけっこう熱心にやってたこと(おかげで母がとっておいてくれた昔の習字を処分しないですんだ)と、従姉の伊佐子ちゃんとこんなに親密に過ごした日々があったことを知ったことです。思い出したことじゃない、だって全然記憶にないのですから(笑)。
もう一人の従姉も加えた私たち三人は、夏休みのたびにいっしょに遊んで本当に楽しかったのですが、大人になってからはそれぞれの生活が忙しく、何十年もめったに会うことがありませんでした。思い出話をすることさえなかった。そんなことしなくても、何となく同じ日々が続いているような気がしていました。
自分が書いたとすら思えないほどの、伊佐子ちゃんとのこの毎日が、思いがけなく手に入った宝物のようです。過去の自分から贈られた最高のプレゼントのよう。
彼女との写真はすごく多いのですよ。昔の写真は小さいし、アルバムに貼られているのを撮ったので、見にくいですけど、雰囲気だけでもお目にかけます。これは田舎の私の家の門柱の横の、土手につながる塀の上で、この木なんかひょっとして、今もあるんじゃないかしらん。むろん手前が私です。
それにしても、昔は散髪代50円だったのね…。