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身の毛がよだつ

ラジオは一日、高校野球を中継している。またこれがものすごい接戦の名勝負ばかりで、クーリングタイムとやらがあるにせよ、高校生たちは選手も応援団もどうしてあれだけの熱波の中で生きていられるんだと、聞いてるこっちがふらふらする。歌舞伎の「平家女護島」で、年老いた(実際にはそんな老人でもないのだが)俊寛と、負傷した悪役が、どっちもよろよろしつつ斬りあう場面が思い浮かんで、体力の限界ではどっちも譲れないものなのかとも思うが、どうもそういう気息奄々の気配はなく、はつらつと元気に戦っている。もしや、この暑さの中で、これまでとちがう人類が生まれはじめているのではないかと疑いたくなる。ニュータイプってやつですね、SFでいうところの。

そんなこんなでつい実況を聞いてしまうのだが、こんな非人間的な児童虐待としか言いようもない催しに、自分が加担しているようで、ものすごい罪悪感を感じる。もしやローマのコロセウムで剣闘士たちの競技に魅入られていた人たちの心境もこういうものだったのかとまで思う。

そうしたら、ネットの投稿で、「やっぱりあの暑さの中でやってもらわないと面白くない。それを冷たいビールを飲みながら涼しい部屋で見るのが最高」とか書いている人がいて、こっちの後ろめたい罪悪感もあったせいか、本当に狂気のように腹がたった。言ってしまうと、岸田首相や河野大臣や維新やエッフェル姉さんと呼ばれてる女性議員よりも、こういうことを思うのみか、しれっと口にするやつの方が、私は大嫌いで許せない。こういう神経の人間がこの世にいると思っただけで、大げさでなく身の毛がよだつ。そして、私も含めてだが、こんな催しに熱中して盛り上げあっている大人たちは、一人残らず大人の資格も人間の資格もないと思う。

とにかく何とかしてほしい。最適な環境の中で試合する選手たちを、何の良心のとがめもなく楽しみたいよ、こっちは。
 まあ、もともと、高校野球には昔から、そういう悲劇的なサディスティックな趣味の見方がつきまとってはいたけれどね。過激な練習とか指導とかが美談としてもてはやされて。その名残りが林真理子さんも手がつけられないでいた、スポーツ関係のサークルの伝統にまでつながっているのじゃあるまいか。

そういうスパルタだの根性だのが、ようやく薄らいで来た昨今と思っていたら、この熱波がその代わりかい。サマセット・モームが「幸福はたまには人間を立派にするが、苦労は決して人間を立派にしない」とか言ったのを、しっかりかみしめとくべきだよ。自分がマゾヒストになるのは勝手だが、人を代わりに苦しめて快適になるなよ。最低だ。大学のころ、友人たちと遊びで書いた小説『A高野球部日誌』の世界は、もう過去のことと思っていたのに。

今朝は暑くなる直前に水まきをして、ついでに中庭の通路の草をむしって、何とか見られるようにしました。こうして、ちびちび、あちこちからきれいにして行くしかなさそうだ。
 写真では、どうってことないと思われるでしょうが、昨日までは草がもしゃもしゃで、ひどい状態だったんすよ、ここ。ビフォー・アフターで、前の風景も撮っとくんだった(笑)。

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カツジ猫