六年生の夏(22)
叔父も叔母も医者で、学位も持ってたと思うんですが、その家にして救急箱もなかったのか、当時は。そして一人娘が足に火傷をしても、本人も周囲も特に騒ぎもしなかったのか。何だかいろいろ、すごいなあ。そういう時代だったんでしょうが。思えば叔父も、病院の副院長でありながら、胃がんがとりかえしのつかない状態になるまで、検診も受けてなかったようだったから、ほんとに「紺屋の白袴」って、こういうことなのかもしれません。
赤チンキって今では知らない若い人もいるでしょうが、ヨードチンキの前身みたいなもので(ちがうかな)、当時はどこの家にもこれだけはあった常備薬でした。でも、それも見つからなかったんかーい。
8月21日 木曜 天候◎ 起床9時20分 就寝10時0分
図画 ひひょうする
昼食がすんでから、私が図画を書いていると、伊佐子ちゃんが来て、昨日の火傷が痛いとこぼした。
「何べん目ね。それ言うのは。」「そう言うても痛いのに。赤チンキでもつけとこうかね。」「赤チンキなんてあるの?。」「失礼やね。ちゃんとあるよ。えーと、あれはここかな。」ガタガタさせて探したあげく、伊佐子ちゃんはあやしげな液体の入ったびんを持って引き返して来た。「へーえ、何だか赤インキみたいな色ね。」「冗談じゃない。立派な赤チンキですよ。あああ、こぼれたよ。よし、これでいい。さあ、これが赤インキね、とくと調べなさい。においかいだだけでわかるよ。」「なるほどね。ややややや。これ、インキじゃないかね。」「いやよ、本当?」「本当だって。青インキと同じにおいですもん。」「ちょっと、いやよ。困るわあ。」
調べた結果、この液体はれっきとした赤インキである事がわかった。こんな、おかしい事はそうざらにない。私は昨日以上に笑った。しかし、伊佐子ちゃんは、そう笑うわけにはいかなかったらしい。
この写真は田舎の私の家の庭。叔母と伊佐子ちゃんと私。私が登っている梅の木は、この時すでに老木で、今は多分枯れてもうありません。逆に正面奥に見えているヤマモモの木はすごく大きくなっています。私はよく塀の上に座って、ヤマモモをとっては食べていました。