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六年生の夏(5)

車の中の温度計では、外の気温は今日まさに三十九度。外は人通りもない。殺人的な熱波だ。そして私の六十五年前の日記では、この日は24度だったってさ。

8月3日 月曜 天候◯ 温度24度 起床六時〇分 就寝11時45分

出校日

学校へ行くともう皆きていた。安本さんをつかまえて、習字には行かんでいいのかと聞いたら、「知らあん。だあれも行きよらんから、うちも行かんわあ」と言った。外の人にも聞いて見たけど似たりよったりの返事だった。で、私も行かなかった。その後、すぐ先生が来て、映画の事や遊びの事などを話しあった。私が「映画の事ですが、親類の人が大分や福岡へ連れて行ってそこの映画館に大変、いい映画が来ていても、入ってはいけませんか。」と聞くと先生は「なるべく入らないようにして下さい。」と言った。男子の中には、「そんな人は、学校から連れて行く映画を見ないで下さい。」と言う人もいた。その時、つたい先生が窓から首を突っこんで、「後藤先生。」と呼んだ。二人で話しあった結果、今日映画を見る事になった。映画はつまらないチャンバラ映画だった。それでも皆、キイキイヒャアヒャア言って見ている。私はひそかに、学校から連れて行く映画が、これではしかたがないと思った。さっき教室で男子があんなこと言ってたけれど、「緑の魔境」「大自然のかたすみ」「砂漠は生きている」などの内、どれか一つでも、もう一度見られたら、あのきれいなサボテンの花を、牛や人間を食べる魚を、月夜のヘビのダンスを、もう一度見られたなら、学校から連れて行く映画(なかにはいい映画もあるけど)なんか一年間見なくたっていい。私はそんな事ばかり考えてたので映画は半分も見ていなかった。
家に帰ると母が習字は書けたかと聞くから「習字はなかった。映画があったから。」と言った。すると「どんな映画か。」と聞いたので「何とも知れん映画だった。」と答えておいた。

当時は「映画教室」というのがあって、講堂で映写機を回して上映したり、村の小さい映画館に行ったり、全校児童が参加してました。たしかそこで「明治天皇と日露大戦争」などの一連の明治天皇ものも全部見ましたから、日教組なんて本当に強かったんだろうか(笑)。そして私たちもすっかりはまって、放課後の校庭で日露戦争ごっこをして毎日遊んでいましたっけ。

一方で私があげている映画の数々は、たしかディズニーの美しい記録映画で、これは母に連れて行ってもらった町の映画館で見たのでした。母はディズニーのアニメもそうやって全部見につれて行ってくれました。政治家と金持ちを無条件に軽蔑し、学者と芸術家をこれまた無条件に信頼尊敬していた母のことですから、学校の規則なんてきっと気にもとめなかったのでしょう。

ネットでもほとんど記事がないのですが、これとか、これとか。

写真は、そのころ私が使っていたランドセル。

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カツジ猫