出たな(笑)
さがしまくって、ついに見つからなかったおひなさまが一つ、仏間の棚のまん中に、しれっと箱ごと載っているのを今朝発見しました。私はいったい何を探していたのだろうなあ。自分でも恐い。
もうひとつか二つ、同じころ買った小さめのがあったような気もするんですけど、この分じゃ、それもその内どっからか出て来るでしょう。
このおひなさまは、よく見ると何だかなまめかしい妖しい顔をしているのが、ちょっと不気味で好きだったんですよね。せっかく現れてくれたことではあるし、四月いっぱいは時差出勤で飾っといたれと思って、置き床の、最近見つかった叔母の金ピカアクセサリー類をのせてるお皿にいっしょにしてやりました。色的にも何か似合うじゃない?
ウクライナの情勢がほんとにひどいことになっている。プーチンの頭の中がというべきかもしれない。
最初のころ、まだこれほど悲惨な様相ではなかったころ、街で音楽会を開いていたり、捕虜のロシア兵をいたわっていたりしたウクライナの人たちは、ひとりひとり今無事なのか、どうしているのか、つい考えてしまう。
アメリカや日本のベトナムやアジアでの残虐行為の数々、ソ連崩壊後のヨーロッパの紛争、アフガニスタンやアフリカでの殺戮や虐殺を思うと、特にこれが特別とも異常とも思わないし、まるで初めて戦争を知ったかのようにショックを受けている人たちの反応がむしろ不気味だ。「これが戦争だから、絶対に平和を守らなければ」という意見も多いけれど、それ以上に「日本もこうやって蹂躙されないように武器を持って自衛しなければ」という意見の方がネットのコメント欄では目につく。
それらのひとつに「ロシアは何をするかわからない。日本も絶対に核兵器以外のあらゆる武装をプーチン以上に早急に備えなくてはいけない」みたいなことを書いてる人がいて、変に笑った。そうか、日本で核武装や核兵器というのは一応それほどに皆の中ではタブーになっているんだと確認する一方で、しかし、そういう平和や反核がそれなりに根づいてる人にまで、今回の見聞は「ロシア以上の軍備を持たなくちゃ」とあせらせるほどの効果があったのかと、どういうか、掘りのこしたグラジオラスの球根を見つけたり、今ごろ出てきたおひなさまと顔を合わせたりした時の、喜んでいいのか参っていいのか、どうもこうも何とも言えない気分にひたされた。
私だって、こうやって世界中が足並み揃えてロシアを罰し、困らせようと一致団結しつつあるのを見ていると、多分これしかないのだろうと思っていても、まるでいじめの構造じゃないかと感じて、理屈抜きにこの図式に嫌悪感を抱く人はいるだろう(そういうのに快感を持つ人もいるだろうのと同様に)と思ったりするし、第一次大戦後に敗戦国のドイツに厳しすぎて、ヒトラーが支持されるあの結果を招いたのじゃなかったっけかとか、いろんなことをしょっちゅう、ちらちら迷わないでもない。
たださ、「軍備を増強し、武器を持て!」と一気にもうそっちの方に走る人たちの思考や感覚では、ウクライナがこうやって予想に反して抵抗し、ロシアの意図をくいとめている原因や理由を、どう分析しているのかね。まあ、テレビでも何でも、スポーツ番組もどきに、武力の方の解説しかしないから、そうなるのもやむをえないかもしれないが。
フツーに考えて、ボーッと見ていても、ウクライナの市民や軍隊が常日頃軍備をそなえて、武器を持っていたから、この状況まで持ちこたえて勝てたって、そんなわけないだろ、何をどう考えても。
武器の供与というかたちであれ、世界各国がプーチンの暴挙に、第二次大戦後の世界がかろうじて守ってめざして来た、法や秩序をこわしてはならないと、決意してウクライナを支え、応援することにためらわなかったからじゃないのか。そして、経済制裁をはじめ、直接の戦闘以外のあらゆる手段でロシアをしめあげようと手を緩めず、国際世論のおおかたも、それを支持したからじゃないのか。この力が、この効果が、ウクライナをここまで勝たせているんだよ、どう考えても。
だったら、日本が無事でいるためには、核兵器を除くかどうかはいざ知らず、ロシアなみの軍備をそなえようとするより前に、百歩ゆずってせめて同時に、早急にやるべきことは、そのような世界秩序を作り、いかに弱くてももろくても、歴史を逆戻りさせない、人類の未来を信じる、平和を願う勢力や機構を、ちびちびとでものろのろとでも、整備して行くことじゃないのか。そういう力と意識とが、直接の戦闘以上に状況をゆるがし、変えて、進めて行くんだってことを、私たちはこの数週間で、しっかり見たのではないのですか。それに気づかなかったのなら、目と頭とのチェックをした方がいいぞマジで。少なくとも、その程度の観察力と分析力じゃ、戦車やミサイルいくら持っても、どんな戦争にも勝てるわけないやん。
具体的には、じゃどうしたらいいのかって、これは自分にも言い聞かせてるんだが、いくら忙しくても大変でも、世界と政治と歴史とに関心持とうね。それもたかだか一つの本やネットや一人の話にのらないように、多彩な芸術や文学にも関心持って、感覚をみがこうね。自分の得意なものをみがいて、ひとつでいいから自信を持って言い切れる、専門的な目を持とうね。
自分を大切にし、それを粗末にする相手を許さない人権意識ってやつを持とうね。選挙の投票には行こうね。街頭演説は聞こうね。チラシは受け取ろうね。意見の同じ人とだけじゃなく、ちがう人ともちゃんと仲良く議論しようね。好きなもの持って、生きること楽しんで、人や生き物を愛そうね。教育と医療にお金かけ、弱い者を大切にする政治を作ろうね。
そういうことの積み重ねが、本当に強い世界を作る。それが結局、日本を守り、私たちを守ってくれる。そもそも、憲法9条は、そういう意味で日本への信頼と好意を世界で育てて築いてくれるのに、大きく貢献してきた武器でもあったわけなんですよ。
どうしてそれが思いつかないのか、これだけそれがわかる立派なテキストが目の前にあって、それ見てて明らかにわかることに気づけないのか、私はほんとにふしぎでならない。