効率わるっ。
◇勉強中心の生活に切り替えようとしているのだが、慣れてないから、力の入れ方とかがわからなくて、どうも効率が悪い。母のこととか九条の会とか、しゃかりきでやってて、合間に論文何とか書いてたのと比べると、母はいなくなり、政治や社会関係のことは、あくまで時間が余ったらというやり方に、生活感覚が追いついてない。
だいたい、資料を読んだり調べたりしていたら、そんなはずはないのだが、まるでもう10年以上まったく勉強や研究というものをしていなかったような錯覚に陥る。そして、昔からそうだが、やろうと思ったら、研究にも勉強にも、余る時間なんて、どこまで行っても、まったくないのだ。
じゃ、どこで歯止めをして、制限かけて、家事をしたり集会に出たりする時間を確保するようにしたらいいのか、その見極めがなかなかできない。それで、すべて中途半端になり、欲求不満になる。惜しげもなくすべてをぶちこむという研究法は、もう無理だとわかっていても、やはりそれでないと、仕事にならない。
◇とりあえず今日は、机の上に積みっぱなしの資料を片づけるべく、江戸後期の国学者片岡寛光のことを調べた。人名辞典の記述によると、あまり資料がない人らしく、死んだ年ははっきりしてるが、生まれた年はわからない。墓も見つからないそうだ。あったら、だいたい、その墓碑に書かれた墓誌で生没年とかわかるのだけれど。
それで、本によって、死んだ年が三十余歳とか六十余歳とかになってる。どっちの説も、どこから始まったのか何が根拠なのかわからない。また、彼は晩年に狂気のようなふるまいがあったとも言うのだが、その最初の記事がわからない。これだってなあ、三十代の青年と六十代のじいさんとじゃ、狂気のふるまいの後死んだっつっても、イメージがかなりちがうじゃないか。
しゃあないから、根拠の一つになってるらしい、彼の歌稿の写本の複写を、所蔵図書館に注文した。急ぐ仕事じゃないからまあいいが。もう一つの根拠の本は、たしか図書館が工事のために来年あたりまで閉鎖中だったはず。のんびり行くしかないだろう。
◇数日前から、家のまわりで、ウグイスがいい声で鳴いている。去年のウグイスは、キレがよくて、ものすごく上手にホーホケキョッ!と、ほれぼれするほど見事に鳴いてた。今年はそれほどでもないが、一応ちゃんと最後まで声が通って、回っている。このあたり、ノラ猫さんが多いので、食べられないかと心配だ。
近所のご主人が、畑仕事をしている庭から、「そんたく、って流行語になるっちゃないですかね」と声をかけて来られた。「ほんとにもう、むちゃくちゃですよね」と私も応じる。共謀罪のことも話題になって、「昔のような世の中になるっちゃないやろうか」と心配しておられた。何だか少し気が晴れた。国会では共産党の大門議員が、また何か文書を暴露したようで、徹底的に解明してほしい。「野党は政策を」って言うけど、こんな政府とまともに政策論争とかできるもんかい。まともな対応をしないのかできないのか、まったく答えになってないのも、あらためてしゃくにさわる。
その後で、新婦人新聞を配りに来られた女性が、金網の中のカツジ猫を見て、「あ、久しぶりに出てきてくれた」と喜んでおられた。「ずっと姿が見えないから、どうしたのかと思ってました」って。そこそこファンがいらっしゃるのだね、カツジや。