北杜夫さんのこと。
キャラママさん。
あー、私やっぱりカツジ君は、この顔の方が好きかも(笑)。
敏速な対応、ありがとうございます!
北杜夫さんのこと、私も残念です。
「どくとるマンボウ航海記」を初めて読んだときの衝撃が忘れられません。あんなにカルイ読み物だったのに、どういうか、それまでの日本文学にはなかった、まったく新しい世界を感じました。
それは、一口に言うと、女性に対する感覚でした。あの本に女性なんてほとんど登場しなかったにもかかわらず。
以後もそうでしたが、私がこういう感覚を持ったのは、彼を除けば三島由紀夫だけなんです。すごく変なとりあわせなのは、わかっていますけど。
筒井康隆もある程度は、そうだったかな。橋本治もそうでしょうけど、もうその時代になってくると、どんなかたちであれ、女性についてどう考えるか、皆が意識しなくてはならなくなってましたから、またちょっと別かな。
北杜夫にしても三島由紀夫にしても、決して女性差別反対とか、男女平等とか言ってたわけじゃない。そんなことを口にしていたわけでもない。
ただ、彼らの語り方や態度や、その他すべての文章から私は彼らが、女性が差別されている世の中に自分は住んでいる、そこで生きているということを、知っている、わかっている、ということ、それを意識して生きているということを、なぜか感じたのです。
そして、当時の私には、そのことだけで、どういうか、十分だったし、ありがたかった。
三島由紀夫が、ああいうかたちで、自分の生を終えてしまったことは、私はキャラママさん風に言うととても残念で、もっとちがった戦い方をしてほしかった、できる人だったのだろうに、とつくづく思います。今でも。
そして、北さん(そう呼ばせてもらう)も、女性問題もですが、政治的社会的なことでも、芥川賞もらった「夜と霧の隅で」でしたっけ、ああいう作品を書いた彼の、別に決して政治的活動や発言をしろとは言いませんが、それ以後の彼自身のあり方や生き方を見ていて、彼のような精神の人の居場所って、ほんとに日本にないんだなあと思ったりもしました。右翼とか左翼とかそんなのではなく、でも中立ばっかりでもなく、独自に的確に行動や発言が(小説を通してでもそうでなくても)できる人というか、場所というかが。
彼って一時アメリカで「月乞食」みたいな、変なパフォーマンスしていて、それを誰かが「あれは三島の自殺に衝撃を受けた、彼なりの行動」と分析しておられたのを読んだ気がします。
川端康成氏がその晩年に、狂気のように都知事選挙の応援(保守派のだったよね)なんかしてたのも、同じ三島由紀夫の自殺から受けたショックだと誰かが書いていたのも見ました。
そういうこともあったかもしれない、そんな原因ではなかったかもしれない。私自身は三島由紀夫の自殺にはまったく衝撃を受けず、ああ彼は安易な方面に逃げたなあと、むしろ思ったものですから、どんな意味でも影響は受けず、平気でしたけど、行動する知識人のあり方という点で、自分が問いかけられ、追いつめられた作家たちって、やっぱりいたのでしょうか。
「月乞食」にしても、それ以後のうつ病にしても、北さんは、そういう世の中との関わり方に、開き直れなかったし、方向を見つけるとか以前にさがす気持ちにもなれなかったのかなと思います。
唐突ですが、前田武彦の例のバンザイ事件もそうだけど、芸能人や作家が政治的立場や社会的立場を明確にすることは、とてもややこしいことになってしまうなあと思う。
今回の原発の件でも、学者も有名人も皆、あっという間にあっちとこっちにレッテルはられ、ふりわけられて、にっちもさっちも行かなくする雰囲気がある。何なんですかねえ、これって、ほんとに。
北さんの悩みも、あったかどうかもわからないわけだし、かりに、そういう点で悩んでおられたとしても、それはご自分の選択だから私がどうこう言うことでもないけど、でも何かやっぱり、もっと北さんの根源にあったものを作品としてもその他でも生かす方法がなかったのかと思います。なんて言ってる私はいったい、何さまなんだろう(笑)。
「ガンダムエース」読みました。大胆なご発言の数々、感じ入りました。人畜無害には、どっちみち、ほど遠いような(笑)。