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危機感

週に数回、マッサージに行ってます。このごろ、左肩の奥の筋肉が痛い時があって、理由がわからず寝相かなとかスタッフのお兄さんと言いあってて、ふと、「いつも買い物とか重い荷物を左肩で持つからかな。右肩はいざってときのために空けときたいから」と言うと、お兄さんは「右で持たないんですか。両方使った方がいいですよ」と言った。
 「そうだろうけど、敵に襲われたときのために、右手は自由にしておきたい」と言うと、お兄さんは何だか予想以上にめちゃくちゃ受けて、笑って施術ができないほど喜んでました。

「あれ、だって、そう言わない?たしか、昔、自衛隊の人か警察かアメリカの軍隊か、何かそういう専門家が、荷物は絶対左肩にかけると決まってる、右手は戦闘用にあけとかなくちゃいけないって言ってたんで、ついそれが癖になって」と答えると、「すごい。そんなこと言う人、これまで生きてきて初めて会った」ですって。
 そうなん?(笑)

その彼がそうなのか、今の世間の若い人がだいたい皆そうなのか、平時に道を歩いていて、突然何ものかに襲われた時にどうするかって危機感抱くことってないんですかね。そりゃ、どうかすっと歩くのもおぼつかない足取りのひよわな老婆(私のことね)が、そんなこと考えてるギャップに、お兄さんは仰天したのかもしれないけどさ。

念のために今ネットで検索したら、やっぱり軍隊では左肩が基本で、理由も私の言ったとおりだったけど、一般ではまったくそういうことを気にする人はいないようだった。マッサージのお兄さんが「生まれてから今まで聞いたことがない」と言っていたのも、この分じゃきっと本当なんだろう。

まあねえ。先日ワイドショーで「しんぶん赤旗」の記者の名刺を公開した、それを悪いとも認めず、「赤旗は機関紙で報道機関じゃない」だの、その他いろんな嘘もまじえて、しょうもなさすぎる弁明を続け、こりゃあかん、こんなの代表で維新は大丈夫かと、私が思わず心配した維新の藤田代表が、その「しんぶん赤旗」に暴露された不正な金の支出について、弁明し、コメンテーターの人たちが、歯切れ悪く用心深く、それでも「問題になることではないかもしれない」とか弁護していた。見てはいないがたしか「サンデーモーニング」では、これは問題だとはっきり言ってたようで、そりゃ、維新を支持する人たちはサンデーモーニングなんか信用しないだろうが、しかしとにかく、そういう見解もあるわけなんだから、当事者だけを登場させて、その弁明だけを聞かせて、反対意見をまったく示さないのもどうなのかと思って見ていた。

そうしたら、出演していた若いタレントさんか誰かが数人、「お話をうかがって、問題ないとよくわかりました」とか言ってるので、まあその場の雰囲気では、それ以外の発言はしにくいのかもしれないが、ちょっと驚いた。そういうことは、他のワイドショーでもしばしばこのごろ見る。かなり複雑で私でも当否がよくわからない問題を、明らかに一方的な見解だけが断定的に語られたり、微妙な言い回しで用心深くごまかしているとしか見えなかったりする説明のあとで、若い人たちが「よくわかりました」とあっさり納得しているのが、本当に恐い。まあ、熟年世代や高齢者も似たようなものかもしれないが、どうして、これほどあいまいで、つっこみどころ満載の解釈や解説に、何も疑問を持てないんだ。せめて「よくわからない」とか言えないのか。見るたびつくづく、そりゃ、闇バイトも結婚詐欺もなくならんわと、しみじみ思う。

それを言うなら最近の首相と中国の関係もそうだ。私はもちろん最初から高市首相とは考えもめざすところも大違いだが、それは意見が違う相手はいるのがあたりまえで、全然問題ではない。しかし、最近私が困っているのは、そういう段階での敵とか悪とかいうように、首相を全然思えないことだ。なんかもう、それ以前の問題というか、この人の言うことすること、もう、うかつな親戚のおばさんを、ひやひやしながら見ているという感覚でしかない。憎むとか嫌いとかいう感情を、もはや持てない。

国会中継が最近さっぱり面白くなくて、つい見なくなっているのだが、それはもうともかく首相がてきぱき答えているようで、何も具体的なことを言わないからだ。とにかく逃げて逃げて、世間を刺激しないようにだけをめざした無難な回答に徹しているとしか思えない。
 その一方で非核三原則とか憲法とか防衛とか大変な問題については、するっと大胆な発言を結論だけ口にする。

前から言っているが、この人は保守でも愛国でも右翼でさえない。思想とか理想とか、そういう守るべきものを持っていないし、そもそもそういうことを理解できないのではないかと思う。それは別に悪いことではないが、首相としてはやっぱりまずい。

首相に限らずワイドショーでも報道でもそうだが、中国が何にこだわり怒っているか、少しも理解できないのだろう。被爆者の方々に対してもそうだ。人間が国が民族が、これだけは許せない、これだけは守りたいと堅く決意している「核」のようなものが、この人にはまったく見えていない。そういうものが存在していることさえ知らないし気づかない。
 まったくの赤の他人を、ここまでバカにしてはいけないのかもしれないが、この人の行動や発言を見ていると、そうとしか思えないのだ。たとえば、人のペットを殺した後で、花束とお菓子を持ってにこにこ笑って訪問すれば水に流してもらえる、相手の顔に熱湯ぶっかけて傷をつけておいて、今もおきれいですよ元気を出してと陽気にはげませば忘れてもらえる、みたいな、あまりにもピント外れの感覚しかない。

中国であれどこであれ、対決するならしてもいいが、それならまず、敵を知らなくては勝てるわけがない。報道機関でさえそうだが、中国が気分や利害で適当に動いているかのような観察しかしないで、どうしたら気持ちを和らげてくれるのかとかばかり忖度しているようでは、勝ち目なんかあるはずなかろう。
 いっしょにしたらいけないが、共産党でも統一教会でもキリスト教でも、歴史や哲学で構築された譲れない強固な信念がある。それがまちがっているか正しいかはそれぞれちがうが、敵や相手にする時には、それを見逃したら勝てない。

その信念を生むにはそれなりの歴史や体験もある。被爆者や戦争体験者の核兵器や戦争への否定もそうだし、中国の場合は、第二次大戦下で日本が行った虐殺や蛮行も刻み込まれて血肉になっている。言っとくが多分世界の多くの国々も、そうした記憶や感覚をたがいに忘れず暮らしている。いくらにこにこ文化交流をしても経済協力をしても、それはそれで、忘れていない、許していない記憶がある。相手にもあることを承知している。

その配慮が首相にはまったくない。知らないし知る気もなさそうだが、それでは世界に通用しない。選んでしまってこうなったのなら、それはしかたがないとして、せめて報道や世論や、そもそも自民党の人たちが、それを指摘し少しはわかってもらうしかない。
 それが、何だよ、ワイドショーも国民もふくめて、彼女を守り弱点を隠し、かばおうと必死になっているとしか思えない。一方で麻生さんが「育てなきゃ」とか言い出したようで、それも結局同じことで、この図式って本当に「バカな女をみんなでかばって守って育ててやってる」でしかない、徹底的な女性蔑視にしか見えなくて、私は本当に気味が悪い。高市さん自身が、どっかおかしいとは思わないのか。怒れよ少しは、このかばわれ方に。

彼女への支持率が高いのはもしかしたら、もうこの人がだめだったら、先がないから何とかして支えなくちゃという不安も世間にあるのかもしれない。でもそんな現実逃避、どこまで続くんですかね。私にはどんな意味でも、あんまり楽観できません。

写真は、マレーシアみやげにいただいた、おしゃれな写真入れに、私が昔暮らしていた田舎の家の部屋の前にあった階段と欄干と窓の写真を入れたもの。ちょっとミスマッチかもしれませんが、中学から高校と私が毎朝見ていた光景なので、過去に開く窓みたいで、わりと気に入っています。

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カツジ猫