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原爆の日

朝夕、水をまいていても、このところの熱波で、鉢植えの植物も枯れてしまいそうです。
実家の柿の木からもいで来た、柿の実の種か、裏の崖の上の宅地造成のときに切られてしまった柿の木の最後につけた実の種か、どっちか忘れましたけど、適当に植えておいたら、いくつか芽が出て伸びて葉もついて喜んでいたのですが、その内の一本の葉っぱが全部、とうとう、ちりちりに焦げたようになって枯れてしまいました。

あきらめきれなくて、毎日ざぶざぶ水をかけていたら、ななな何と、今日見たら、緑の新しい葉っぱが出て来ていました!

つくつくほうしも鳴いてるし、赤とんぼも見かけたし、猛暑もその内終わるでしょうから、どうか、がんばって復活してほしいなあ。

今日は広島に原爆が投下された日。オリンピックの会場での黙祷はしないことになったそうだし、首相は平和祈念式典の場で、原稿を読みまちがって途中をすっぽぬかしたらしい。

それでもあんまり腹も立たないのは、こういう気分もきっとまちがってるんだろうが、もうオリンピックとか政府とかに、死者への追悼や平和への祈りに、指もふれてほしくない、汚されたくないという思いがどっかにあるのかもしれない。

日の丸君が代を歌わないとか頭を下げないとかで、ギャーギャー怒る人の心境がいつもわからなくて、嫌いな人には関わってほしくもないし、いやな気分で歌ったり頭下げたりしてもらって何がうれしいんだろう、汚された気分にならないのかなとずっと感じている。それと共通する心理かもな。

目をそむけ、忘れよう、闇に葬って、ふみにじろうとしか考えていない人たちに、黙祷させるのも、あいさつさせるのも、それはそれで大事なことなのかもしれないが、本音を言えば、反省してない殺人犯が焼香に来たときみたいで、ほんと、関わってほしくない。

とりあえず、数年前に、「むなかた九条の会」のチラシに書いた文章を、再度紹介しておきます。

夏の朝、花の庭で

 
このごろは、8時ともなると、もう太陽は強く照りつける。
庭に水をまく手をとめて、ぎらぎら輝く空を見ると、小説や手記で読んだ、さまざまな人たちの、原爆が投下された、その瞬間の話がよみがえる。
 

「庭先に出て、空を見上げた」「廊下に立って、ふとふり向いた」「晴れた空に白い落下傘が見えた」「職場の机を離れて立ち上がった」その次の瞬間、閃光が走り、全身を焼かれ、まっ暗になり、ガラスが刺さり、柱に貫かれ、あちこちから火の手がひとりでに上がり、人も馬も焼かれ、死体が道に重なり…。

 

子どものころの私は、その事実におびえた。だが、心のどこかでいつも、そうやって悲惨に死んだ人々に冷ややかな気持ちがあった。「自業自得ではないか。なぜ戦争を許した。政府の言うことを疑わず、ラジオの放送を信じこみ、政治に関心も持たず、だまされて、流されて、何の抵抗もしなかった、あなたたちが悪い。町が焼け、家族を失い、自分たちも苦しみぬいて死んだ、その責任は誰よりもあなた方自身にある」。そう思った。

 

戦争に反対し、投獄され拷問され殺された宗教家や共産党員にも私は同情しなかった。「なぜもっとうまく戦わなかったのだ。なぜ戦争をしたがる人たちに負けたのだ。国民を味方につけられず、孤立して、正しいことを広められなかったのだ。なぜ失敗したのだ。なぜ負けてしまったのだ」。そう思った。
 

若者ならではの傲慢さだった。それと私は恐かったのだ。セクハラやレイプの被害者に、「あなたにも責任がある」と言ってしまう女性たちは本当は「何の責任もなく、こちらに悪いところは何もなくても、そんなひどい目にあうかもしれない」という事実を認めることが恐すぎるから、「気をつけていれば避けられる」と思いたがる。それと同じだ。何の罪もない人たちが、一瞬で身体の表面から臓器まで、焼かれ破壊され、のたうって死ぬしかないとしたら、恐ろしすぎる。自分はそんなことにならない、させないと信じていなければ耐えられなかった。

 

今、私はおののきながら、晴れ渡った空を見る。首相が選挙の結果も国民の希望も無視して改憲は認められたと大嘘をつき、新聞もテレビもそれに抵抗しない。多くの人が投票に行く気力さえなくしつつあり、それを私はくいとめられないでいる。あの人たちも皆そうだったのか。74年前の8月の朝、何気なく空を見上げた人たちは、今の私と同じだったのか。

 

「それでも、できるだけのことをしよう」などとは思わない。
 

もう二度と失敗はできない。決して失敗してはならない。

 

2019年8月1日

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カツジ猫