九条の会関係夏の朝、花の庭で

このごろは、8時ともなると、もう太陽は強く照りつける。
庭に水をまく手をとめて、ぎらぎら輝く空を見ると、小説や手記で読んだ、さまざまな人たちの、原爆が投下された、その瞬間の話がよみがえる。

「庭先に出て、空を見上げた」「廊下に立って、ふとふり向いた」「晴れた空に白い落下傘が見えた」「職場の机を離れて立ち上がった」その次の瞬間、閃光が走り、全身を焼かれ、まっ暗になり、ガラスが刺さり、柱に貫かれ、あちこちから火の手がひとりでに上がり、人も馬も焼かれ、死体が道に重なり…。

子どものころの私は、その事実におびえた。だが、心のどこかでいつも、そうやって悲惨に死んだ人々に冷ややかな気持ちがあった。「自業自得ではないか。なぜ戦争を許した。政府の言うことを疑わず、ラジオの放送を信じこみ、政治に関心も持たず、だまされて、流されて、何の抵抗もしなかった、あなたたちが悪い。町が焼け、家族を失い、自分たちも苦しみぬいて死んだ、その責任は誰よりもあなた方自身にある」。そう思った。

戦争に反対し、投獄され拷問され殺された宗教家や共産党員にも私は同情しなかった。「なぜもっとうまく戦わなかったのだ。なぜ戦争をしたがる人たちに負けたのだ。国民を味方につけられず、孤立して、正しいことを広められなかったのだ。なぜ失敗したのだ。なぜ負けてしまったのだ」。そう思った。

若者ならではの傲慢さだった。それと私は恐かったのだ。セクハラやレイプの被害者に、「あなたにも責任がある」と言ってしまう女性たちは本当は「何の責任もなく、こちらに悪いところは何もなくても、そんなひどい目にあうかもしれない」という事実を認めることが恐すぎるから、「気をつけていれば避けられる」と思いたがる。それと同じだ。何の罪もない人たちが、一瞬で身体の表面から臓器まで、焼かれ破壊され、のたうって死ぬしかないとしたら、恐ろしすぎる。自分はそんなことにならない、させないと信じていなければ耐えられなかった。

今、私はおののきながら、晴れ渡った空を見る。首相が選挙の結果も国民の希望も無視して改憲は認められたと大嘘をつき、新聞もテレビもそれに抵抗しない。多くの人が投票に行く気力さえなくしつつあり、それを私はくいとめられないでいる。あの人たちも皆そうだったのか。74年前の8月の朝、何気なく空を見上げた人たちは、今の私と同じだったのか。

「それでも、できるだけのことをしよう」などとは思わない。

もう二度と失敗はできない。決して失敗してはならない。

2019年8月1日
むなかた九条の会世話人代表
板坂耀子(福岡教育大学名誉教授)

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