原爆の本
わが猫カツジは、私のふとんに入って来ても、長毛種で暑いのか知らんが、すぐに出て行って枕の上や、ふとんの上に移動する。今朝ものそのそやって来たので、どうせすぐ出て行くんだろうと思いつつ入れてやったら、どうしたことか、気持ちよさそうに私の肩に頭を載せて寝こけてしまって、いつになっても動かない。信じられないと思いつつ、ふだんなら喜ぶんだけど、あいにくラジオの6時半からのラジオ体操に遅れそうになったから、そっと、ふとんを脱け出すと、枕の上に座りこんで、何だか超きげんが悪かった。何なんだよー、泣けて来るよー。
オリンピックで、ウクライナの選手が「私たちは平和を望む。戦争はあってはならない」みたいな発言と宣伝をしたらしい。本来は政治的発言はオリンピックの公式の場ではご法度なのだが、「平和を望むというのは別に政治的発言ではない」ということで、おとがめなしになったそうだ。ロシアへの牽制という、それこそ政治的判断もあるのかもしれないが、それにしたって、いいことだろう。教師たちの憲法の勉強会を攻撃した維新の議員に聞かせたい。
そう言えばかなり昔、大学の研究室で何かの話のついでに、ある女子学生が「だって、平和を守ろう、政治とは関係ない、あたりまえのことじゃないですかー!」と、本当に普通のように、まっとうに、まっすぐに、言い切ったっけ。私が軽く驚いたのは、彼女はやたら前向きで明るくて、力強くて正統派で、見た目もとことん元気で前向き、私は疲れて落ちこんでいる時など、廊下の向こうに彼女が見えると、そのパワーと熱気に疲れそうで、逃げ出したくなるぐらい(たしか実は身体は弱かったのに、それとはまったく関係ないようで、無理をしているという感じでもなかった)、汚れも迷いもない人だったけれど、決して左翼とか政治的とかいう要素のある人ではなかった。偏見のない、自分の意見を持つ、言い方次第では空気なんか読まない人だった。旧ソ連ならピオネール、ナチスドイツならヒトラー・ユーゲントで、優秀な一員になりそうな人だった。
そういう、まっすぐで、まっとうな、正しさと明るさの権化のような人が、あたりまえのように、「平和を守ろうとするのは、政治的なことなんかじゃない」と感じ考えているらしいことに、私は感動とはちがうかもしれないが、何だか心がゆさぶられたのだ。
そうそう、これも朝のラジオで聞いたのだが、今日は足尾鉱毒事件に関する川俣事件の起こった日だとか。政府に対して戦った田中正造を描いた映画「襤褸の旗」は、ネットの動画で公開されているようだ。原泉とか志村喬とか、なつかしい顔も見える。
で、これは私が大学院生のころ、研究室で後輩の男性たちと、しりとりゲームで遊んでいて、映画の題名でつなごうとしたか、映画や小説の題名も使っていいということにしたか、どっちか忘れたが、とにかく数人で、そこそこ映画のタイトルも言い合って、ゲームは進んでいた。「ら」ではじめなくちゃならなくなった時、一人が「襤褸の旗!」と叫ぶと、他の数人が「あーっ!(それ、おれが言いたかったのに!)」と口惜しがった。これも私にはちょっと意外で、そういう男性たちは、政治的関心はあったが、それは教養としてであって、むしろ体制順応して成功をおさめるエリート志向の若者という印象を私は抱いていた(実際、彼らは皆、その後大学教授か何かになって社会的には成功と言われる人生を送ったはずだ)。当時の雰囲気で、左翼や革新を気取るにしても、「襤褸の旗」的な精神とは一番かけはなれていると思っていた。
でも考えて見たら、それこそ革新の正統な大御所の共産党とかよりも、全共闘的な「襤褸の旗」のような戦いが、彼らにはファッショナブルで、魅力的だったのだろうか。
私自身も含めてだが、時代時代の若者たちの感覚は、ほんとに微妙で、予想もつかない。それだからいいのかもしれないが。
さて、家の片づけにいそしんでいたら、この古い古い本が出て来た。長崎に原爆が投下されたときの三菱重工長崎精機の被爆の記録である。序文を書いている福田吉郎は、私の親戚で、会ったことはあるかもしれないが、記憶にない。
母から何度か、この人のことは聞いた。「被爆して血だらけになって死にかけていたのを、部下の若い人たちが助けて、汽車の床に寝せて、踏まれないように皆でその上に足を踏ん張って立って守って運んでくれた。それで助かって、戦後も長生きしたけど、その部下の人たちはそのすぐあと、原爆症でひとり残らず死んでしまった」ということだった。
序文には、母の話と同様のことが書いてある。どうしても読んでほしくて、そこだけはコピーした。このままでは無理だろうが、画像をデスクトップに移動するなり何なりすれば、多分読める。
この本は三菱重工にとっても貴重な資料かもしれないが、私が持っていてももったいないので、近々、他の板坂家関係のアルバムなどといっしょに、親戚に送ろうと思っている。
被爆者の証言は多くあるだろうし、子どもたちの体験記も胸をつかれるが、この本に書かれた働き盛りの人たちの職場での被爆の実態にも、また他にはない強さや重さがある。