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叔父のハガキ。

◇今日も国会前には、雨の中、先週より多い3000人の人たちが、安保法案に反対して集まったようです。若者だけでなく、あらゆる世代の人たちが、集まってきているようです。いずれまた、詳しい映像があれば紹介します。

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◇ともあれ、私はこの町で、自分にできることをします。明日は九条の会の定例会。19日の集会に向けて、少しでも多くの市民の人に情報を届ける方法を、考えたいと思っています。

◇よく行く銀行の近くのビルに、去年と同じようにツバメが巣をかけてヒナを育てていました。私は今年はかなり遅くなってから見たので、ヒナはだいぶ大きくなって、生意気そうな黄色いくちばしの顔がよく見えました。今日通ったらもう巣は空になっていて、皆無事に巣立ったと見えます。

◇実家を片づけていたら、母の荷物の間に、叔父のハガキと、祖母の手紙がはさまっていました。どうやら母が長崎の短大の寄宿舎にいる間に出したもののようです。祖母の手紙も面白かったけど長いので、今夜は叔父のハガキの方だけ紹介します。表は「長崎市内活水女學校寄宿舎 板坂澪子殿  大分縣宇佐駅前 板坂元」。何という大ざっぱな。この住所で届くんだ。

「前略 着いた早々少し氣の毒に思つたが一つ注文をする、雑誌「話」(十月号)を一冊送つてくれ、内容を見たらわかる事だ、早く知りたいなら八月三十一日の日記を開き給へ、文藝春秋社發行のものだぜその本は陸上競技と一しよに送つてくれ、十日は曇りだ、一荒れするらしい、いよいよ十二日からリーグ戰だね、サヨナラ」

母は弟の叔父をとてもかわいがってたようなのですが、甘えもあってか、えらそうに書いているのが当時の高校生男子らしくて笑えます。何か自分の書いたものでも雑誌に載ったのかしらん。今となってはわかりませんが。

◇この叔父が、出征の日に書いた俳句の色紙が実家の二階のタンスの中にずっと残っていて、もう今はなくなってますが、何度か見たので私は覚えています。

「征く日に」という題で「閑(のどか)さや 炉端(ろばた)子猫も欠伸(あくび)する」というのでした。
私は子どもだったから、それが叔父が学徒兵として戦争に行く日の朝に書いたものだということを、ずっと気づきませんでした。

叔父が人殺しに行く日の朝に、子猫があくびしているのを見た実家のいろりは、今もまだ残っています。もちろんその時の子猫はもういません。叔父も戦地から帰って、アメリカで大学に勤めて少し前に亡くなりました。

明日は祖母の手紙を紹介します。けっこう長いんだなこれが(笑)。

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カツジ猫