古典文学読めよな。
◇昔の映画でも時代劇でも演劇でもいいけどな。洋の東西を問わず、悪役と正義の味方のすることのパターンって基本的には決まってる。それは人類の叡智の長い間の蓄積で作り上げられた、「こういうことを、ちゃんとした人はするものではない」って基本の知識です。
日の丸君が代問題がいろいろ取りざたされて、橋下大阪知事が、起立しないやつは罰する、口開けて歌ってないやつは罰するとか言い出したとき、そしてそれにマスコミも世間もあまり騒ぎもしなかったとき、私が一番感じたのは、映画や演劇もふくめた文学や、教養の衰退でした。橋本治風の言い方してしまえば、ほんとにバカが増えたなと寒気がして、日本がポルポト化する日も近いと思った。
その時もたしかブログに書いたけど、かりにそれが君が代ではなくて、インターナショナルでもラマルセイエーズでも何でも同じことですが、何かの象徴に敬礼したりひざまずいたりしないのを気にして苦にして罰するっていうのは、悪役のすることですからね。どう考えても。
一番よく知られてるのが、代官の帽子を広場に掲げて敬礼しない者を投獄するっていう、「ウィルヘルム・テル」のりんごの的の前段の場面で、どーでもいいけど書いたシラーはヒトラーに好かれてたぐらいで、決して特に民主的でも革新的でもなかったのだから、それぐらい、こういう感覚は、まっとうな人の間では共有されてたわけですよ。
◇今回の保育所落ちた日本死ねの文章が国会でとりあげられた時、「誰が書いたんだよ」ってヤジが飛んだと聞いて、その発想の方向と程度の低さとバカさ加減に愕然としました。そして首相も「匿名だから、本当にそういう人がいたかどうか」って、匿名だろうが何だろうが、調査対応してみましょうという姿勢をとれないのかポーズだけでも。そこまで、その程度に、この人の「国民を思わない」精神は徹底しているのかと、いっそ感心しましたよ。国を守る安全を守る国民を守るとあれだけちゃかちゃか口に出して連発する人が、ちょっとそういう発言とつりあいとってみようかという気にさえならないもんなんですかね。
と思ってたら、Kumikoさんのツイログが「誰が書いたんだ」でスパルタカスの場面を連想した、って書いておられて何かもう吹きました。そう言えば「シンドラーのリスト」にもあったな。「エルシド」でも、似たようなのが。要するに山ほどあるんですよ。無能で凶暴な指導者が、指摘された内容は棚にあげて、犯人探しに走る場面て。
百歩ゆずって一般の人がそうなのは、まだしかたがないよ。しかし、国民と国家のことを思っていなければならないはずの議員や首相が、こんな姿勢でどうするの。緊急事態条項を作りたいとか言うけれど、この今の事態が緊急事態でなくて何でしょう。そして、母親の日本死ねとまで言い放つ怨嗟の声を「匿名ですからねえ」とか言ってしまう人に、どんな安全保障の精神を国民は期待できるというの。
◇あ、こんなことしてられない。お片づけに戻ります。ベッドで寝ているカツジ猫が、ぐうぐういびきをかいてるのが、さっきから小さくずっと聞こえていて、なごみますけど、こいつやっぱり呼吸器にどっか疾患があるのかなあ。