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夢みたい。

◇今朝起きて庭に出たら、草ぼうぼうだった上の家の前庭を、お隣のご主人がこの前きれいにしてくれた残りの半分も、すべてきれいに草を抜いて木も刈りこんでくれていて、一瞬どこの家かと思ったぐらいすっきりさっぱりなっていました。まるでありがたい魔法使いか有能なホビットの群れがやってきたかのようで、思わず踊ってしまいそうになりました。
あそこのチューリップは例年草に埋もれて、花も見えずにかわいそうなので、今度球根を掘り上げて、代わりに丈夫なムスカリでも植えておこうかな。

こうなると、例の緋玉マユミが植わっている下の家の小さな前庭の草が目立って来ました。今日あたり何とかしなくては。

◇同じ夢のようでも、こっちは恐い話。相当に恐い話。あ、オスプレイの配備や大阪都構想にに比べたら、ささやかな恐さかもしれませんが。
昨日も朝の5時に起きて、車で田舎の実家に行って、手伝いに来てくれた友人と若い同僚と、せっせと家を片づけました。「ほしいものを物色して遊んでいても、お茶を飲んでだべっていても、全然気にはしない。ただ、私には近づくな。集中力が乱れるのである」と、めちゃくちゃなことを言い渡していたからか、にもかかわらずか、二人は本当にせっせと働いてくれて、相当に家は片づき、トンネルの出口が見えました。見えているのは私だけかもしれませんけど、でも見えるの(笑)。

それですっかりうれしくなって、二人が10時ごろ帰ったあとで、私もすぐ帰途につけばよかったのに、ついついまた夜中まで一人で片づけを続けてしまって、12時半ごろ出発しました。
最近、眠くなったという自覚さえなく、すうっと眠りかけている状態があるので、それは気をつけて、ちょっとでもふらっとか、ふわっとかしたら、すぐ休もうと思っていたのですが、案外調子がよく、いい気になって走っていたら、突然知らない道に出ました。

私は夜などよくまちがえて曲がりそうになる交差点が一カ所あるので、ああ、あそこを曲がってしまったかと思ってとりあえず引き返したのですが、道路標識を見ると、方向としてはまちがっていないようでもあり、またとって返してしばらく走り、ますます見知らぬ大きな道に出たので、やっぱりおかしい、わかる所まで引き返そうと再再度Uターンしました。

そしてしばらく走ったら、いつも通るトンネルに来ました。はてこれはと思いながらそれを抜けると、見覚えのあるいつもの道で、やっぱり私は来た方向に戻っていました。それで確信が持てたので、またまた引っ返してトンネルをくぐり直し、走って行くと、さっきまちがった見知らぬ道と思った大きな道路は、いつも走っていた道路でした。
何しろ夜中で、目印になる風景も建物も何もほとんど見えないので、しかたがないとは言え、一瞬認知症になった人の気分をかなりしみじみ味わいました。

それはまあ、そこまでは、そんなに恐くはないのですが、なぜ私がそんな錯覚をして、知らない道に出たと思ってしまったかというと、トンネルを抜けた記憶が全然なかったからです。ぞー。
トンネルの前に一度交差点があり、そこまでずっとうねうね一本道があり、その最初の方に、私がよくまちがえて曲がりそうになる交差点があるのですが、そのまちがえやすい交差点の手前のあたりを走っていたあたりから、ずっと記憶がない。下手すりゃ10分か15分の記憶が飛んでいる。
だからトンネルを出て少し行ったカーブで、我に返って、まだトンネルの手前にいるつもりですから、あたりの様子にまったく覚えがなかったわけです。

◇夜中だからほとんど車はいませんでしたし、何となく対向車線に出て行くようなことはしない記憶の飛び方とは思うのですが、それにしても、こうして書いていてまったくいい気分がしません。
ネットで調べてみたら、疲れすぎている時には、わりとそこそこよくある症状のようで、だったら自分のことは棚にあげて言うと、そういう半覚醒状態の車がけっこう走ってるってか。もう恐すぎる。やめてくれー。

一番困るのは、あれではもう、前もってチェックのしようがない。とにかく一にも二にも無理をしないの一語につきます。しかしもう、どこまで何をしたら無理なのかがわからない状況ではあるのだよなあ。もしかしたら、交通事故の中には、こういう隠れた過労死もかなり入っているのかもしれませんね。

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カツジ猫