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季節の変わり目

毎日けっこう涼しいから、半袖のTシャツとか一気に片づけたいんだけど、来週はまた暑くなるんだとかで、そうもいかずにイライラしてる。水まきも夕方はやめて朝だけにしたんだけど、これで大丈夫かちょっとドキドキ。

こんなとき、ペースが狂って事故とか起こしちゃ大変だから気をつけてる。台風の余波か風の強い日もあって、こういうときには駐車場でドアの開閉に注意しとかないと、いきなりぱかーんと全開して、隣の車を傷つけでもしたらえらいことになる。

NHKのラジオを聞いてる限り、国葬その他に対する識者の発言やアナウンサーの反応もとてもまともで、日本の良識も常識もまだ全然死んではいないと安心する一方、政府の暴走と非常識との落差格差温度差がますます不安でもある。

何度もくり返しとくけど、今回の国葬で自民党が「反対が多くても、やったら皆賛成してよかったと言うに決まってる」という、この感覚が発想が根本精神がぬけぬけ口にできる鈍感さと無神経さが、すべて身の毛がよだつほどいやだ。

「いやがってても無理にやれば、相手はいずれ感謝する」という、この感覚って、超部分的には正しいこともあるかもしれない。でも、この発想から派生して人類を、特に女性を長いこと苦しめつづけた現実の罪深さは数しれず、それがこの数十年で少しずつ確実に変化した(させてきた)のを、この目で私は見てきた。

「レイプを女性は望んでる。抵抗しててもやられたら結局快感になる」
 「体罰はいずれ、受けた方が感謝する」

この二つだけでもほんの二十年か三十年前までは、普通に常識だった。週刊誌は連続レイプ犯をかっこいい英雄みたいに持ち上げて報道してたし、私の大学での教え子は男女を問わず生徒に体罰を与える教師になってて私は高校生以来自分に課してきた「体罰を行う教師は絶対に愛さない」と「自分の教え子はすべて愛する」の二つのモットーをどう整合両立させようかともだえ苦しんでいた(今も解決してないです)。

子育てでもペットのしつけでも医療でも、このスパルタ教育的発想は、今では基本的に否定されつつある。これだけでも私は何とか人類を信じ、生きていく力を得ていると言っても言い過ぎじゃない。

そうじゃない意見の人がいるのは当然だし、やむを得ない。だが、絶対の権力を持つ政権党が恥ずかしげもなく、このような発想を公言するとは。彼らのすべての政策が、この感覚の上に成り立っているのが、ありありと実感できるとは。オリンピック、国葬、すべてにおいて。絶望しかない。時代遅れとかいう問題じゃない。

だからレイプや体罰と同様、私は絶対にこの政権を認めないし、許さない。責任を持って否定しつづけ、批判しつづけ、憎悪しつづける。あえて言うけど、この状況での国葬は、民主主義や自民党の葬儀というだけじゃない。国民全員(賛成してる人もふくめて)へのレイプです。

ここまで少しはよくなった世の中を初めから体験していてあたりまえと思っている若い人たちを私はバカになんかしない。私たちとはまたちがったいろんな苦労や不幸が今の時代にはまたあるのだろうと思うから。レイプや体罰もかたちをかえて実際には今も根強く残ってもいると思うから。でも、そういうものとの戦いや抵抗もふくめて、これまで長いことかけてやっと改善されてきた、この今の状況も決してはじめからあったものじゃないことを知ってほしい。その逆行を絶対に許さないことが、今の状況を変えていくことにもつながるってわかってほしい。

歴史や社会のすべてと私たちは毎日、もみあって、押し合って生きているのだ。意識しようとしまいとだ。押し戻しつづけていないと、押し戻されてふみにじられる。それを実感してほしい。

例のサルスベリの芽はどうやら確実に伸びてるようで、写真でもだいぶわかるかな。

でも、私手放しで喜んでたけど、最終的にはこの木がでかくなって、その下で椅子にゆったり座ってバラを見ようとか空想してたんだけど、どう考えてもこの木がそんなに大きくなるまで私が生きてるわけないじゃんよ。せめて、小さい植え込みぐらいに育ってくれたらいいけどな。

昨日は夕顔がいちだんと派手に咲きほこっていました。

最近私がはまりまくって買いまくってる切り花のガーベラも最初のころのはしおれかけてるけど、短く切って飾るとそれもそこそこきれいです。

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カツジ猫