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対岸の原発。

◇四国の伊方原発が運転されるかもしれないんだって?差し止め判決がひっくりかえったらしい。
百ぺんでも書いてやるが、あの原発、半島の先っぽだから四国の人には影響が少ないとかいう話を聞くたびに、いらいらする。四国の人だって大変だろうが、あの半島は海を隔てて対岸の大分県と至近距離なのだ。

私の故郷なのでよくわかるが、人気の観光地の由布院、別府、国東半島、全国八幡神の総本山(というのか)宇佐八幡など、いっぺんで汚染される距離だぞ、何事かあったら。

当然ながら対岸の県の意見など聞かれもしないし、いざというときの避難受け入れをどうするかとしか大分県はのんきなことを言ってるようだが、海があるからバリアでもあるとかん違いしてるのかい。自分とこの漁業も農業も観光産業もいっぺんで壊滅的な打撃を受けるっていう想像力もないんかい。あきれはてて、ものが言えんよ。

言ってみりゃ、熱海と軽井沢と伊勢神宮の鼻の先に原発が動いてるようなものだぞ。宇佐神宮の神様が怒ったって知らないからな。原発を再稼働させようという人たちに罰を下してくれるならまだしも、のほほんと守りもしない地元の大分県に見切りをつけて、廃墟にしてやるとかお考えにならんことを祈っているよ、心から。

◇紹介するのも汚らわしいような記事を満載した、「新潮45」が「限りなく廃刊に近い休刊」になるそうな。往生際の悪いこと、さくっと廃刊にすればいいのに。海外ドラマ「ZOO」で、しつこくよみがえってくるアビゲイルを思い出してしまうからかもしれないが、どうも気に食わない。

まわりくどーい悪口をちょっと書く。
山口瞳の「江分利満氏の優雅な生活」という直木賞とった本があって、瀟洒な素敵な内容だが、その最後に近く、ものすごく幼稚な安っぽい文章のラブレターが紹介される。そして、「この手紙を読んだら誰だって吹き出すだろう。でも本当はこれを笑う権利は誰にもない」とかあって、これが戦没農民兵士の妻が戦地にあてた手紙だという説明がある。

決して政治的でも社会的でもない日常の平凡な暮らしが内容だったこの小説の最後で、作者は実に慎ましく、そして強烈に、戦後の自分たちの生き残った(と単純化はできないが)ある後ろめたさ、恥ずかしさを述べている。
同時に私にとって、この手紙は、幼稚な表現、まちがった文章を、軽蔑の対象にはできないこと、文章や表現は、それそのものだけで評価できるものではなく、書かれた事情や背景と切り離し難く結びついて評価すべきではないかということ、という、自分の中での歯止めや問いかけに、いつもなった。

◇だから、学生のレポートも含めて、誤字脱字書き間違い事実誤認を、そのまま全否定の理由にはしないことにしている。
私をよく知っている人なら、たいがいここで苦笑して「しかしながら、と今から悪口を言うんですね」とおっしゃるでしょうが、まあその通り。

現政権の救えないところは、ごく初歩的な意味での限りないバカさ加減、知識や理性や教養の価値を泥の中に投げ捨ててふみにじったことである。
この点では、知識人を目の敵にしてリンチして殺しまくった中国の文化大革命やカンボジアのポルポト政権とまったく同じ体質だと言って過言ではない(この二重否定の意味さえ、現政権支持者にはわかるんだかどうか)。

中島岳志や小林よしのりなど(いっしょにしたらどっちも怒るだろうが)いわゆる保守や右翼と見られた人たちさえ、一応まっとうな論客たちは、ほとんどもう一人残らず現政権の批判に傾き、支持するようなちゃんとした知識人は払底している。
だからこそ、「新潮45」にしてもそうだが、かき集める政権支持の執筆者の質は限りなく下がるのは無理もない。

◇とは言え、私がネットの記事をななめ読みしていて、何よりも愕然としたのは、かの小川氏の同性愛を「知らないし知る気もないが」と言って悪口を並べるという、私の授業のレポートでなくても普通なら即不可になるだろう論文もさることながら、それに対する抗議の嵐に対してツイッターか何かで反論した氏の一文の中で、

「(私の)排著を読まないで」

批判しているという抗弁だった。

◇ちなみに授業で私は学生たちに、ちょっといかめしい(とはいえ、まあごく普通の)論文を読むときのために、
セッチョ、カンケン、カゾウは知っとくといいよ、と教えてやる。拙著は自分の書いたつたない本、管見は自分の知る限りの狭い範囲、架蔵は自分が本棚に持っている本で、前の二つは謙遜の意味もある。

そんなこと大学の授業でわざわざ教えてるというだけで、同僚たちにはバカにされそうな、研究者や学生にはあたりまえの常識だ。
で、このハイチョはどう考えても拙著のまちがいとしか思えないのだが、私はとっさに見なかったことにしてあえて考えなかった。うっかりトイレを開けたら人と目があったように、見てはならないものを見たというか、全国的な総合雑誌に「拙著」もまちがえる人が堂々と書いてることの恐ろしさに思考と記憶が凍結した。

そもそも拙著を知らない人が案外多いのか、あまり話題にもならなかったが、それでも突っこむ人がいたからか、最近小川氏は、何かこれは秘書の書き間違いとか弁明しているようだ。
私としては拙著を知らない人がけっこういそうだというリサーチにもなったから助かったぐらいで、知らないで間違えたなら開き直っときゃいいのに、こういう姑息なみっともない言い訳をするのは、ますますもう救いようがない。

ちなみに誰かも指摘してたが、学生のレポートでも変換ミスによるものと、はなっから間違えてるものとは見ればわかる。拙著が節著や切猪や説貯になってりゃ(ならんだろうけど)まああわてた結果のうっかりミスだとわかるが、これは明らかにもう文字も意味もはじめからわかってなくてまちがえる、一番救いのない確信犯だ。

◇まあ、北海道地震のとき、いわゆるネトウヨの人たちが「原発」がどうこうという言説を、けっこう大量にネットで書き流していて、これは相当笑いものになっていたが、「原発」を読めないで原発について論じる、それもこれが大量に拡散されるということは、誤字さえもチェックしないで疑問

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