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風がおいしい。

◇昨日から風邪薬を飲むのをやめてみている。何とかなっているけど、まだちょっと鼻がぐしゅぐしゅして、疲れるのが早い。
今朝も寝坊してしまって、日が照っているのであわてて水まきをした。雨模様だったのもあって、数日まいていなかったのだが、鉢の草花は皆けっこうしゃんとしていて、やはり涼しくなってきているのがわかる。
そして、吹き渡る風がもう、おいしいと言いたいぐらいさわやかで快くて、それだけでも元気になりそうだ。

◇私は枯れた花は、カツジ猫が遊ぶ金網で囲まれた庭の一角に捨てることにしている。そうすると自然に土に帰って行って、別に地面が高くなったりもしない。「花の墓場」と名づけているのだが、先日からそこに何だかすくすくと長い葉っぱと太い茎の何物かが育ち始めた。
捨てた何かが根を下ろして復活したのだなと思い、何だろうとおっかなびっくり見ていたら、うすみどりの房が現れてきて、私がときどき何本か買って花びんにさしてた、粟だった。

あっさりして、かわいくて、風雅で、好きだったからうれしいけど、このまま放置しておいたらどうなるのか、ちょっと考えてしまう。切って飾った方がいいのか、そのままにしておいてみようか、どうしよう。
戯曲「ら抜きの殺意」の中で「濡れ手にあわ、は、泡じゃなくて粟なんです!」と強調していた、国語の先生のことも思い出して、うすみどりの穂を見つつ、つい笑ってしまう。

◇昨日はちょっと思い立って、以前に私が衝動買い(笑)した、家の近くの小さな個人墓にお参りに行った。私の名前とともに、今の家で暮らした猫と犬の名前がみんな書いてある。十数匹の中で生きているのはもう、カツジとマキとグレイスの猫三匹だけになった。

永代供養は頼んであるが、どうせ私が死んだら誰も来ないしと、花活けも線香立ても作っていない。代わりに田舎の墓を改修した時に出た黒御影の石を加工した四角いオブジェみたいなのを二つ墓石の前にすえつけて、わが家の紋の三本蕨を彫ってある。

大きな墓地だが、一番奥の高いところにあるこの一角は、畳一枚もないほどの狭い区画なので、若いご夫婦とか一人暮らしの人や高齢者が、思い思いに建てたいろんな形のお墓が多い。「悠」とか「慈悲」とか「愛」とか「今日は来てくれてありがとう」とか「和」とかいろんな文字が彫られていて、他にも十字架や絵があったり、かぶとむしやお地蔵さんがついていたり、見ていてあきない。
眼下にはダムの池と森が広がり、畑や町が一望できる。高い所なので、空が目の前にある。

縁もゆかりもない場所で、いくつかさがして気に入って買っただけだが、晴れていても曇っていても雨の日でさえ、ここに来ると私は落ちついて、幸福な気分になれる。どうしてだろうと思うほどだ。
田舎の大きな黒御影とピンクの墓も、それなりに好きなのだが、こちらはまた、隠れ家のような別宅のような楽しさがある。
花活けも線香立てもないから、近くの洗い場の桶で汲んだ水で墓石をふいてしまうと、することがないので、近くの石のベンチに座ってハガキを書いたり本を読んだりすることもある。

特に昨日はお彼岸ということもあって、見渡す限りお墓に飾られた花で、墓地は花園のように華やかだった。二組ほどがお参りに来ていたが、もう一日過ぎているので、ひと気はなくて静かだった。

田舎のもここのも、私が死んだらどうせ荒れ果ててなくなるだろうが、それはまあしかたがない。生きている間にはこうして、せいぜい楽しもう。

◇生協から電話があって、注文していた本がすべてそろったそうな。三万円近くなりそうで、それも頭が痛いけど、いったいいつ読むつもりだと、そっちもまったくめどがたたない。ぎゃおぎゃお。

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カツジ猫