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小林多喜二の講演。

◇小林多喜二の母セキを描いた、三浦綾子原作の映画「母」を7月23日に、宗像市のユリックスで上映します。それに先立つ勉強会で、先日ささやかな講演をしました。
内容をまとめたので、アップしておきます。資料がいっぱいついていたので、これだけではわかりにくいのですが、まあ雰囲気だけでも味わっていただければと思います。
なお、これは、当日配布した講演メモを、より詳しく補充したものです。

講演メモ(補充版)
(2017年6月2日 板坂耀子)

○映画の原作三浦綾子の「母」の、作者自身の文庫本解説によると、夫の三浦氏から「小林多喜二のことを書いてほしい」と頼まれて志した。しかし共産党の活動については何も知らなかったし、いろいろ調べて行くうちにセキ(多喜二の母)が最終的には洗礼を受けていないとわかって、気持ちをくじかれたりもしたと言う。
 しかし、そういう複雑な気持ちが、逆に作品に深さと厚みをもたらしていて、まっすぐにいちずな他の作品とは一味ちがった、やわらかい穏やかさがある。

○原作と映画のちがいのひとつは葬儀の席で、多喜二の「ハウスキーパー」伊藤ふじ子が登場することで、原作では出て来ない。江口渙の回想記にあるように、実際には伊藤ふじ子は遺体にくちづけして激しく嘆く。その場面を不自然でなくとりいれている。そういうところが、とても監督はうまい。

○昔、山本圭が主演した多喜二の映画では、冒頭から凄惨な拷問の場面が描かれるが、今回の映画ではそれが抑制されており、子どもが見ても大丈夫と思う。それでいて、悲しみやむごたらしさは伝わる。この点も監督の手腕がみごとである。

○プロレタリア文学を今読むと、女性の立場やテロ行為に違和感があるかもしれない。「党生活者」では、伊藤ふじ子は魅力的だが、主人公(多喜二)と同棲する笠原への嫌悪感が正直に描かれ、彼女が活動の犠牲になっている様子が浮かび上がる。また、多喜二や徳永直の作品では、虐げられた弱者が、資本家の幼い子を殺したり、屋敷に放火して家人を焼き殺したりする、現代から見るとテロ行為が肯定的に描かれる。違和感があるかもしれないが、そういう時代であることを理解して読まなければいけない。

○多喜二の小説は初期は兄や姉をモデルにした自分の貧しい家庭や、若者らしい三角関係とか恋の悩みを題材にしている。養子に出されて亡くなった兄の立場になって書いたり、貧困の中で苦しむ姉を現実とちがって作品中で自殺させたりしている。中でも売春宿から救い出して、我が物にするのではなく、自立させようと面倒を見た瀧子への愛が生み出したのか、売春婦の生活を彼女たちの立場で細やかに描いたものが多く、山本周五郎の作品のような、細やかな優しさがあふれている。
 他にも小さい店の老婆(「駄菓子屋」)とか、巡査(戯曲「山本巡査」)など、生活に苦しむ人に深く心を寄せて書いた作品が多い。そのような人々の気持ちになって同一化できる人であったとわかる。キリスト教の影響も作品の随所にある。

○巡査への同情は後の小説(一九二八年三月十五日)にも現れ、すさまじい拷問の場面の後に、巡査たちとの会話を通して、彼らの苦しい生活や社会への不満もきちんと描いている。一方的に敵を憎むのではなく、その中にも「人間」の姿を見る、この暖かさと強さが、権力者をむしろ一番怒らせ恐れさせたのかもしれない。なお、井上ひさしの戯曲「組曲・虐殺」は、多喜二やふじ子や母や姉や瀧子が魅力的でカッコいい楽しい音楽劇だが、そこで登場する、どこか人間らしい滑稽で愛すべき特高刑事の名が「山本」なのも、多喜二の戯曲を意識しているのだろう。

○もともと苦悩や絶望を描いても、多喜二の作品には、太宰や自然主義やドストエフスキーとかとは一味ちがった骨太な明るさと強さがある。非合法活動に入ってそれを題材としはじめてからは、題材の内容が悲惨になるのと反対に、描写や筆致は、むしろ、その明るさと力強さが増している。北海道の自然描写(防雪林、不在地主、東倶知安行)や、民衆の群像(蟹工船、党生活者)も、むぞうさに荒々しく描かれているようで、読みやすく巧みな工夫がなされている。

○虐殺の前後については江口渙の文章が詳しい。当時の様子が完璧にわかる。「小林多喜二全集」15巻に収録されている。

○同時代のプロレタリア作家佐多稲子の「歯車」にも多喜二の死の情景が描かれている。登場人物は仮名になっているが、その場面は迫力がある。
 なお映画で、伊藤ふじ子を家の前で迎える若い女性は新劇女優の原泉。遺体のそばにいる女性は中条(宮本)百合子と、窪川(佐多)稲子である。

○徳永直「妻よねむれ」には、多喜二の死によって作者が受けた衝撃と恐怖、戦後あらためて活動に参加しようとする決意があり、今読むといろいろと切実である。

○佐多稲子は後に共産党を離れ、その際の仲間との対立も小説に書いていて、私は当時、天神の積文館でそれを立ち読みし、民主勢力がこうして分裂して行く悲しみに打ちひしがれたことを昨日のように思い出す。

○あらためて、現在の私たちのさまざまな運動が、「テロを否定していること」「仲間と分裂・対立しないでいること」の貴重さと幸福を思う。それを、ひたすらに守るだけではなく、常に検証し模索しながら、より豊かに、より強いものにして行くことが、多喜二をはじめ多くの人たちの苦しみや願いを無駄にせず、ひきついで行くことである。

○ちなみに多喜二が殺されたのは1933年2月20日で、日本が敗戦によって平和になるまで、それから12年かかっています。共謀罪がどうなるにせよ憲法がどうなるにせよ、皆さん、まだまだ先は長いです。ばてないように無理をしないで、元気にがんばりましょう。

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